ウェッレス弾劾裁判とは? わかりやすく解説

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ウェッレス弾劾裁判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 15:58 UTC 版)

クィントゥス・ホルテンシウス・ホルタルス」の記事における「ウェッレス弾劾裁判」の解説

ホルタルスはその生涯通じて元老院寡頭制支持するオプティマテス門閥派)に属し法廷多く門閥派の代表者擁護し改革唱えるクィントゥス・オピミウス等のポプラレス民衆派)に反対した。したがって紀元前70年キケロが元シキリア属州総督ガイウス・ウェッレスを告発したとき、ホルタルスはウェッレスの弁護行った。ホルタルスとウェッレスは古くからの友人であったキケロによると、ホルタルスの荘園シキリア島から送られてきた芸術作品飾られていた。ホルタルスは友情からだけでなく、多額報酬得て弁護引き受けたが、ウェッレスが総督務めていた間に莫大な富の所有者となったからでもある。 弁護側は裁判始めにあたりけむに巻くような方法使った。クィントゥス・カエキリウス・ニゲルという人物にもウェッレスを告発させたのだ。ニゲル以前にウェッレスの下でクァエストル財務官)を努めており、裁判台無しにする可能性があった。このためキケロとニゲルのどちらが告発者となるかを、占い(divinatio)で決めることとなったキケロ主張は、ニゲル真意がどうであり、彼自身がホルタルスのような傑出した弁護人立ち向かう準備ができていないということであった。 カエキリウス君、私には彼(ホルタルス)がどのように君を翻弄するか、既に見えている。彼は何回君に二つ回答一つ選択する自由を与えだろうか物事なされたのかなされなかったのか、事実なのか嘘なのか。そのどちらを選ぶにしても全て君に不利になるのだ。闇の中でどれだけの苦悩に耐えなければならないのか、想像難くはない。。。彼が君の告発幾つも分解し、指の上それぞれ並べ替え追求しはじめたら、君は何ができるだろう?彼がそれぞれの小さな問題に関してそれぞれに粉砕し反論し始めたらどうなるだろう?君は無実の人を危険な目に遭わせてしまったのではないか恐れ始めるだろう。 キケロ『クィントゥス・カエキリウスの占いに関して』、14.45. 同じ演説の中で、キケロ公然とホルタルスに挑戦し、こう言った:「私は彼の才能称賛するが、彼を恐れてはいない」。さらにこうも言っている:「彼に希望持たせないようにしよう。裁判が私に委ねられるならば、彼は自分弁護計画全体変更しなければならず、彼が好む方法ではなく、もっと正直で立派な方法実施されることになる」。結局判事キケロ原告として認めた紀元前70年1月)。するとホルタルスは裁判引き伸ばしかかった。ホルタルスは次期執政官選挙立候補するつもりであり、当選してかつ来年まで裁判延期できれば有利になる考えたのだ。裁判長はウェッレスの友人であるマルクス・カエキリウス・メテッルス務めることになるだろう。このため、ホルタルスはマケドニア属州総督(名前は不明)に対す裁判組織したその結果、ウェッレスの裁判開始8月延期された。ホルタルスは、第一回目の審理の後、さらなる調査が行われることを期待していた。ローマでは、秋の間に様々な催し物が行われれるため、これは事実上成功翌年への延期)を保証するものであった。しかし、弁護側は最初の段階裁判負けてしまった。キケロは短い演説と共に8日間にわたって証人法廷喚問し、その証言によって、ウェッレスが数々権力乱用の罪を犯していたことが明らかになった。ホルタルスは、すべての証人尋問の間、沈黙していた。そして一度だけケントゥリパ(シキリア都市)の副官であるアルテモに対して証人ではなく告発者だ」と呼んだ。このことから、キケロは、弁護側は何も反論するとがない結論づけた。後にキケロは「強力な猛攻」で「あらゆる方向からから敵を打ちのめした」と回想している。ホルタルスは敢えて発言せず、評決第2回審理を待つことなく、ウェッレスに亡命するように助言した。彼はマッシリア向かって出発した。 ウェッレス弾劾裁判は、ホルタルスの無条件降伏であったその結果、ホルタルスはローマ最高の弁論家として地位失い以降キケロ第一人者となった

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ウェッレス弾劾裁判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 16:45 UTC 版)

クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・クレティクス」の記事における「ウェッレス弾劾裁判」の解説

紀元前70年後半行われたキケロの『ウェッレス弾劾演説』では、キケロシキリア属州住民原告側弁護士となり、属州総督ガイウス・ウェッレスを強奪審理裁判所起訴した。ウェッレスは紀元前73年から紀元前71年にかけて総督務めたが、倫理的に腐敗し賄賂受け取っていただけでなく、4000セステルティウス当の金品盗んだシキリア住民告発されていた。彼らはまた、ウェッレスが正式な裁判無しローマ市民死刑したことがローマ法に触れる訴えていた。ケルティクスとクィントゥス・ホルテンシウス・ホラティウスは翌年執政官選挙当選していたが、両者ともにウェッレスと親しく、彼を支援することとした。ホラティウス被告側弁護人となり、クレティクスの兄弟マルクス強奪審理裁判所翌年裁判長であった被告側は、裁判開始翌年まで延期し、クレティクス、ホラティウスマルクス影響力判決利用しようとした。このためキケロはクレティクスを「義務権威投げ出した」として、例えウェッレスの悪政直接的な関係は無いにせよ、腐敗していると非難したキケロは、クレティクスが執政官選挙勝ったのは自分自身能力のためでなく、ウェッレスの賄賂よるものであると二度わたって示唆し、さらにクレティクスを反ウェッレスに転向させようとして、ウェッレス自身がそう言っていると述べている。 キケロ紀元前63年執政官となりカティリナ謀反対す裁判カティリナ支持者達を死刑としたが、これが法律違反であるとして紀元前58年ローマ追放されていた。その後追放解かれたが、帰還後元老院での演説で、クレティクスの親戚であるクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ケレル紀元前60年執政官)の援助得たことを述べている。キケロケレル真に貴人であり、自然に優れた気質持っているとしている。以前政敵であったにも関わらずキケロはメテッルス家を模範的な市民であると讃えている。

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