ウェッブ・ポメリン法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 04:37 UTC 版)
「シャーマン法」の記事における「ウェッブ・ポメリン法」の解説
国際連合経済社会理事会の報告によると、1904年、オーストリア、ベルギー、チェコスロバキア、フランス、ドイツ、オランダ、スペインの企業によって板ガラスの国際カルテルがつくられ、ここにはやがてイギリスのメーカーも参加した。シャーマン法は1918年に成立したウェッブ・ポメリン法によって修正され、合衆国の生産者に「輸出のみを目的として構成される」組合は設立を認めるようになった。1919年5月には銀管理制が撤廃された。ウェッブ・ポメリン法と銀の自由化は、ニューヨークを上海と並ぶ世界的な銀市場に変身させた。北米から流れ落ちる銀のナイアガラは1933年にピットマンが銀協定をとりまとめるまで価格を下落させつづけた。 1935年、ウェッブ・ポメリン法にもとづく輸出組合が板ガラスの国際カルテルに加わった。このときに英・米・原加盟国の間に対等な協定が結ばれた。それは合衆国を除いた世界市場を分割する内容で、日本市場の場合アメリカとヨーロッパへそれぞれ1対4が割り当てられた。ウェッブ・ポメリン法とシャーマン法の整合性は、戦後まもなく訴訟によって問題化した。 1948年、ハバナ憲章で反トラスト規定が盛り込まれた。憲章は批准されないまま歴史からこぼれ落ちてしまう。やがて憲章をモデルに関税及び貿易に関する一般協定などが締結される。これらは憲章の自由貿易規定を採り入れながら、しかし反トラスト規定は完全に棚上げしていた。ヨーロッパでは欧州石炭鉄鋼共同体ができた。そこに生まれたブラッセル・コンベンションは、合衆国のウェッブ・ポメリン法にもとづく輸出組合と似たような方便で正当化された。
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