「日本思想史」の形成
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日本思想が学術的な考察の対象に上ったのは明治時代以降のことである。戦前の代表的な思想史家として津田左右吉、村岡典嗣、和辻哲郎などがいる。 儒教と国民道徳論 「文明開化」に伴って、明六社の福沢諭吉や西周らによって西洋思想、西洋哲学の輸入が盛んに行われた。その中で、欧化主義に対して日本の伝統思想を回顧する動きも現れ、国粋主義・国家主義者たちは国民道徳論を唱えた。東京帝国大学で西洋哲学の普及に努めた井上哲次郎は、朱子学、陽明学、古学といった日本儒教・江戸儒学の研究を始め、西村茂樹も西洋哲学と伝統思想を融合した『日本道徳論』を著した。エドマンド・スペンサーの社会進化論を紹介した加藤弘之らは啓蒙思想を批判する国権主義に走った。元田永孚は儒教と天皇崇拝を一体化させた「教育勅語」を起草した。 ナショナリズム 歴史学者の津田左右吉は、日本古代史や『論語』の文献研究で知られるが、『文学に現はれたるわが国民思想の研究』を著して、初となる本格的な日本思想の通史的叙述を行った。自由主義的なナショナリストであった津田には『支那思想と日本』の著作もあり、中国が日本思想に与えた影響を否定することに力点を置いていた。村岡典嗣は『日本思想史研究』や『本居宣長』の著作があり、日本思想の文献学的研究を行った。村岡は宗教哲学者者の波多野精一から大きな影響を受けており、日本思想の中の宗教哲学の探求を動機として、江戸時代後期の国学者平田篤胤に日本伝統思想における宗教哲学の完成を見出していた。村岡典嗣の活躍した東北帝国大学では、西田直二郎の「文化史学」が興隆し、石田一良、佐藤弘夫らを輩出した。 昭和戦前期の状況 哲学者の西田幾多郎は『日本文化の問題』で、伝統思想を媒介とした西洋哲学の刷新を説いている。また、倫理学者の和辻哲郎は『人間の学としての倫理学』や『倫理学』で知られるが、彼もまた日本精神の研究を行った。和辻はドイツの解釈学を学び、それを思想史叙述に利用した。『日本精神史研究』は日本美術や芸能の中に日本精神を探る著作である。戦前に出版した『尊皇思想とその伝統』は、古代から近世の日本思想を尊皇思想という観点から渉猟し、戦争を控えて執筆が急がれた和辻倫理学の大きな目的の一つである、民衆を国家のために動員可能にする国家主義の完成を目的としていた。戦後にはこれを元にした完全版の『日本倫理思想史』が出版された。和辻門下には相良亨、源了圓、湯浅泰雄らがおり、現在では第三世代として佐藤正英などがいる。大川周明はイスラーム哲学の研究者であり、アジア主義の代表的人物だが、人物評伝の『日本精神研究』や文明史の『日本二千六百年史』を著した。皇国史観によって日本史を論じた平泉澄もこの時期の代表的な思想史家である。唯物史観の立場からの日本思想史研究では、三枝博音や、『日本における近代思想の前提』の羽仁五郎らがいる。 日本仏教史 仏教の研究は古くから寺院の檀林・学寮などで行われていたが、近代的な仏教学研究は、サンスクリットやパーリ語を研究していたフランスやドイツの東洋学者の元に留学した僧侶たちにより始められた。マックス・ミュラーに学んだ南条文雄や高楠順次郎、エルンスト・ロイマンに学んだ荻原雲来、渡辺海旭、渡辺照宏らがいる。また、河口慧海や能海寛らチベットに直接渡って原典を研究した人物もいる。東京帝国大学では高楠が梵語、村上専精がインド哲学の講座を設けて、鷲尾順敬や境野哲が仏教史研究を開始した。私立大学としては井上円了が哲学館(のちの東洋大学)を設立、龍谷大学や大谷大学といった仏教系大学も林立した。鈴木大拙は禅を海外に紹介し、清沢満之は浄土真宗から精神主義の哲学を創出した。高楠に教えを受けた宇井伯寿の弟子には中村元、木村泰賢らがいる。田村芳朗は東京大学に日本仏教史講座を設け、弟子に末木文美士らがいる。
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