飯塚翔太
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/22 08:31 UTC 版)
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選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | いいづか しょうた | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Shota Iizuka | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛称 | 和製ボルト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 短距離走 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | ミズノ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 中央大学法学部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1991年6月25日(32歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | 静岡県御前崎市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 186cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 80kg[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
成績 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オリンピック |
200m 予選3組4着(2016年) 4x100mR 2位(2016年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
世界選手権 |
200m 準決勝1組5着(2017年) 4x100mR 3位(2017年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地域大会決勝 |
アジア大会 200m 4位(2014年) 4x100mR 2位(2014年) 4x400mR 優勝(2014年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国内大会決勝 |
日本選手権 100m 4位(2012年、2019年、2020年) 200m 優勝(2013年、2016年、2018年、2020年) 4x100mR 優勝(2011年) 4x400mR 優勝(2011年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最高世界ランク | 200m 18位 20秒21(2013年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
自己ベスト | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
100m | 10秒08(2017年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
200m | 20秒11(2016年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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経歴
2004年、中学1年時のジュニアオリンピックDクラス100mで優勝。2006年、中学3年時のジュニアオリンピックAクラス200mで優勝するなど早くから活躍を見せた。
2007年、藤枝明誠高校に入学、10月の国民体育大会少年男子B200mにおいて21秒71の記録で優勝した。肉離れを起こすなど怪我があったものの、2009年8月の全国高等学校総合体育大会では100mが10秒46で2位、200mでは21秒01で優勝した[2]。10月には国民体育大会少年男子A100mを10秒38の記録で優勝した。
2010年4月、中央大学法学部に進学する。5月22日、第89回関東学生陸上競技対校選手権大会4×100mリレーにアンカーとして出場。早稲田大学の選手と競り合う状態でスタートしたが飯塚が10mの差をつけ、中央大学が38秒54の日本学生記録を樹立して優勝した[2]。翌23日には200mに出場し、江里口匡史、安孫子充裕らを直線で交わして優勝した。6月の第94回日本陸上競技選手権大会の参加標準記録を突破していたが目標をカナダ・モンクトンで開催される世界ジュニア陸上競技選手権大会に絞り、日本学生陸上競技個人選手権大会200mを大会新記録で制した後、世界へと向かった。
2010年7月23日、世界ジュニア陸上競技選手権大会200mに出場し20秒67の記録で優勝した。男子日本選手による同大会での優勝は初めての快挙となった[3]。毎日新聞に掲載された高野進日本陸上競技連盟強化委員長のコメントによると「後半の加速力と器用さがあり、ロンドン五輪に間に合う逸材」と説明されるなど、当時は身長184cm・体重78kgの身体を生かしたレース後半の強さが持ち味であった[2][4]。
2011年4月、世界ジュニア選手権における金メダル獲得が評価され、平成22年度JOCスポーツ賞の新人賞を受賞した[5]。
2012年6月の日本選手権において100mで4位、200mで2位の成績を残す。この結果を受け200m、400mリレーの2種目でロンドンオリンピック出場が決まった。8月、ロンドンオリンピック200m予選では20.81の3組5着で、準決勝進出を逃した。 男子4×100mリレーでは日本チーム(山縣亮太 - 江里口匡史 - 高平慎士 - 飯塚)の第4走を務め、予選を38秒07の全体4番目の記録で通過。決勝では38秒35で4位入賞を果たした(USA失格、5位→4位に順位繰上げ)。
2013年5月3日、静岡国際200mを日本歴代3位の記録(日本学生新記録)となる20秒21で優勝し、8月に開催される世界選手権の派遣設定記録(日本陸連が定めた20秒29)を突破した[6]。世界選手権代表内定をかけた6月の日本選手権200mは20秒31のセカンドベストで優勝し[7]、日本選手権終了後はヨーロッパに遠征してからユニバーシアードへ向かった。ユニバーシアードは200mで銅メダル、400mリレーは第4走を務めて銀メダルを獲得した[8]。7月23日、大学卒業後にミズノへ入社することが発表された[9]。8月、世界選手権に初出場。200mは準決勝に進出するも、20秒61の2組7着で敗退した。400mリレーは第4走(桐生祥秀 - 藤光謙司 - 高瀬慧 - 飯塚)を務め、予選ではシーズンベストの38秒23で決勝に進出し、決勝では38秒39の6位で2大会ぶり7回目の入賞を果たした(7番目でゴールしたが、イギリスが失格したため6位に繰り上がった)[10]。9月の日本インカレ100m準決勝で10秒22の自己ベストを記録した[11]。10月の東アジア競技大会に飯塚は選手団の主将として出場し[12]、200mはケンブリッジ飛鳥に次ぐ銀メダル[13]、400mリレーは第2走(山縣 - 飯塚 - ケンブリッジ - 大瀬戸一馬)を務めて大会新記録と日本学生新記録を樹立して優勝した[14]。
2014年4月、ミズノに入社する。5月にバハマのナッソーで行われた世界リレーの4×100mに出場、日本チームのアンカーを務めて5位入賞に貢献し、来年行われる世界選手権同種目の出場権を獲得した[15]。6月、日本選手権の200mに出場。連覇と9月のアジア競技大会日本代表入りを懸けて挑んだ。結果は3位に終わり連覇は逃したが、既にアジア競技大会の派遣設定記録Aを突破していたため、入賞で日本代表に内定した[16]。同月15日、アメリカ・ニューヨークで行われたダイヤモンドリーグ第6戦のアディダスグランプリ200mに出場し、飯塚の所属するミズノの国際代理人が交渉をまとめてダイヤモンドリーグ初出場を果たしたが結果は21秒04の最下位に終わった[17]。10月、アジア大会に出場。200mは4位、4×100mリレーは2走を務め2位に終わった。当日昼に出場を言い渡され、4×100mリレー決勝を走ってから55分後に走ることになった4×400mリレー決勝では、3走を務めて16年ぶりの金メダル獲得に貢献した[18]。
2015年、3月に右太ももを痛めてスタートに出遅れるも徐々に調子を上げていき[19]、6月の日本選手権200m予選で北京世界選手権の参加標準記録(20秒50)を突破した。しかし代表入りをかけて臨んだ決勝では直線の手前で飯塚は右ハムストリングスを痛め失速、最後は歩いてゴールしたものの途中棄権扱いとなり2大会連続の世界選手権日本代表入りを逃してしまった[20]。
リオデジャネイロオリンピック男子4×100mリレーでは日本チーム(山縣亮太 - 飯塚 - 桐生祥秀 - ケンブリッジ飛鳥)の二走を務め、現地時間18日の予選で37秒68のアジア新記録をマーク、全体2位で決勝へ進出した[21]。19日の決勝では予選のアジア記録を更新する37秒60で2位となり、銀メダルを獲得した[22]。
2021年8月の東京オリンピック、陸上男子200m予選では21秒02の1組6着となり準決勝に進めなかった[23]。
人物・エピソード
- 飯塚はサッカーが盛んな静岡県出身だが子供の頃にサッカーはやっておらず、陸上を始める前にスイミングクラブに2年ほど通っていた[24]飯塚が陸上を始めたきっかけは小学3年生の時に地元で行われた陸上大会の100mで優勝し、地元にある陸上クラブの監督から誘われたため[25]。
- 身長が小学6年時で約170cm、中学1年時で約180cmという恵まれた体格が故に、成長痛や怪我に悩まされてまともに走れない時期があった[25][26]。
- 2005年のジュニアオリンピックでは専門外の走幅跳で8位に入っている。これは当時成長痛のために短距離を全力で走れず、しかしジュニアオリンピックにはどうしても出場したかったので走幅跳に取り組んで出場したものである(自己ベストは6m23)[24][25]。
- 高校2年の時からイメージトレーニングを取り入れていて、3年のインターハイ200m優勝の時はインタビューで言うことまで決めていたという[24]。
- 2010年の世界ジュニア選手権200mにはシーズンジュニア世界ランキング1位(20秒58)として臨んだが、アメリカ選手などは実力を信じていない様子で、予選の前にふざけ半分で握手を求めてきたという。決勝の前は緊張せず、前日からウイニングランや優勝インタビューを受けているシーンを10回以上イメージしたという[24]。
- 日本のトップレベルのスプリンターとしては珍しい長身選手で、ウサイン・ボルトも優勝した世界ジュニア選手権200mで日本人初の金メダルを獲得したことなどから「和製ボルト」の愛称を持つ[27]。高校時代のあだ名は「セカイ」[28]。
- 2017年11月25日放送のTBS「炎の体育会TV」で現役選手ながらマスク・ド・ランナーとして登場し、小学生チャンピオンに30mのハンデを与えて200m競争で敗北している。(高校生女子全国チャンピオンには20m、男子中学生全国2位には3mのハンディを与えて勝利した。)
- ^ 飯塚 翔太:日本陸上競技連盟公式サイト
- ^ a b c 「「和製ボルト」は18歳 中大1年・飯塚翔太 陸上・関東学生対校選手権」 『朝日新聞』2010年5月24日東京夕刊、スポーツ1面、9頁。
- ^ 「和製ボルト」飯塚翔太、世界ジュニアで「金」 YOMIURIONLINE (2010-07-24). 2010年8月1日閲覧。
- ^ 「陸上:世界ジュニア選手権 二百V飯塚ら、ロンドンへ新戦力 メダル5個、最多タイ」 『毎日新聞』2010年7月27日東京朝刊、運動面、19頁。
- ^ 平成22年度JOCスポーツ賞受賞者一覧(PDF)をダウンロード (PDF, 65.5 KB) (2011-04-16). 2013年11月21日閲覧
- ^ 飯塚、歴代3位の20秒21 派遣記録も突破、静岡陸上 スポニチ Sponichi Annex (2013-05-3). 2013年11月21日閲覧。
- ^ 飯塚、ハイレベルな男子200で初V/陸上 SANSPO.COM (2013-06-10). 2013年11月21日閲覧。
- ^ 山県亮太、銀も「満足できない」/ユニバ nikkansports.com (2013-07-13). 2013年11月21日閲覧。
- ^ ロンドン五輪代表の飯塚&ディーン 来春ミズノ入社 スポニチ Sponichi Annex (2013-07-23). 2013年11月21日閲覧。
- ^ 日本6位入賞、男子400R決/世界陸上 nikkansports.com (2013-8-19). 2013年11月21日閲覧。
- ^ 飯塚翔太が専門外で10秒22/陸上 nikkansports.com (2013-9-7). 2013年11月21日閲覧。
- ^ 選手団主将・飯塚「めっちゃ緊張」 nikkansports.com (2013-10-2). 2013年11月21日閲覧。
- ^ 飯塚2位、ケンブリッジ飛鳥が優勝/東アジア大会 SANSPO.COM (2013-10-7). 2013年11月21日閲覧。
- ^ 日本男子、400リレーで優勝=卓球女子団体は銀-東アジア大会 時事ドットコム (2013-10-9). 2013年11月21日閲覧。
- ^ 日本、男子400Mで5位!世界選手権の切符獲得/陸上 サンスポ SANSPO.COM (2014-5-27). 2014年7月17日閲覧。
- ^ <陸上日本選手権>男子200 高瀬2位、飯塚3位 静岡新聞 (2014-6-8). 2014年7月17日閲覧。
- ^ 最高峰の舞台での惨敗 飯塚翔太が語った「ギャップ」と「誓い」 MSN産経ニュース (2014-6-22). 2014年7月17日閲覧。
- ^ “男子1600mリレー4大会ぶり金 陸上”. 日刊スポーツ (2014年10月2日). 2014年10月15日閲覧。
- ^ “「和製ボルト」世界ジュニアで金 陸上・飯塚翔太(上)”. 日本経済新聞 (2015年5月23日). 2015年8月8日閲覧。
- ^ 「総特集 日本選手権 白熱の男子スプリント ラウンド1 男子200m」『月刊陸上競技』第49巻第9号、講談社、2015年8月号、12-13頁。
- ^ “【陸上】男子400Mリレー、予選とは「別人」の米国、ジャマイカと勝負でメダル狙う”. スポーツ報知 (2016年8月20日). 2016年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月22日閲覧。
- ^ “陸上男子400mリレーで日本が銀メダル”. NHK NEWS WEB. 日本放送協会 (2016年8月20日). 2016年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月22日閲覧。
- ^ “飯塚翔太「めちゃくちゃ悔しい」初の予選通過ならず/陸上”. サンケイスポーツ 2021年8月3日閲覧。
- ^ a b c d 「Gold Medalist Interview」『月刊陸上競技』第44巻第11号、講談社、2010年10月号、44-47頁。
- ^ a b c 広報おまえざき2012年7月号 (PDF, 3.0 MB) 2013年11月30日閲覧
- ^ 【7】「五輪はスタートライン」 YOMIURI ONLINE 読売新聞 (2012-08-01). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “中大・五輪トリオ壮行会で飯塚ら意気込み”. 日刊スポーツ (2012年6月22日). 2017年4月10日閲覧。
- ^ “【陸上】第2走者・飯塚、入場時の「侍ポーズ」を提案…男子400Mリレー”. スポーツ報知 (2016年8月21日). 2017年4月10日閲覧。
- ^ 全てのカテゴリーのオリンピック(オリンピック・ユースオリンピック)と世界選手権(世界選手権、世界ジュニア選手権、世界ユース選手権)を通じて
- ^ 決勝は未出走。決勝の中央大は39秒30で優勝
- ^ 決勝は未出走。決勝の中央大は39秒73で2位
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