天秤棒 運搬用の天秤棒

天秤棒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 13:56 UTC 版)

運搬用の天秤棒

水桶[2]下肥・土砂などといった物の運ぶ一般的使用法のほか、行商やその他の業者が商品や客の品(例:洗濯物)を運ぶ道具として用いる。進行方向に対して平行に担ぐ方法と、首の後ろで左右に渡して垂直に担いで、バランスをとるために手を添える方法がある。

現代でも中国文化圏中華人民共和国台湾ほか)や東南アジアアフリカなどでは用具として使われている。中国では重慶などの都市部でも狭い路地や段差が多く車の入れない地域が多かったため、天秤棒で荷物を運ぶ『棒棒』と呼ばれる運搬人が長らく存在したが、再開発により少なくなっている[3]

日本では、古くは『一遍聖絵』(13世紀頃)にも描かれており(魚売りなど)、近世では水売りや金魚売りを始めとする様々な種類の棒手売も天秤棒を使っていたが、次第に見られなくなった。

容器

天秤棒は棒の中心を肩に担いで用いるもので、棒の両端には(かご)、畚(ふご)などの容器が取り付けられている[4]。籠を付けた代表的なものに担苗篭(かつぎなえかご)がある[5]

六尺棒

尺貫法を用いていた時代の日本では、長さ6(約182cm)の棒は、棒術や捕縛術、その他諸々の用途の別無く、総じて六尺棒(ろくしゃくぼう)と呼ばれていたが、天秤棒もこの長さ6尺の棒を使っていたことから別名で六尺棒とも呼ばれていた。

浮世絵師葛飾北斎は、『画本早引(えほんはやびき)』前編(文化14年[1817年]刊)の中の「ろ」の頁で「六尺棒 ロクシヤクボウ」をのように持って仁王立ちする男の絵を描いているが、この六尺棒は天秤棒である[6][7]。また、北斎自身も六尺棒(天秤棒)を杖代わりに用いたといわれる。

天秤棒一本で財を成す

江戸時代を中心に日本全国で精力的に活動した近江商人は、近江特産の呉服反物などを天秤棒で担いで販路を広げる他国稼ぎの行商人であった[8][9]。 大坂商人(大阪商人)および伊勢商人と共に日本三大商人の一つに数えられる[10]近江商人は、店舗を構えての商売を基本とする前2者とは異なり、開拓者精神と「三方よし」という商業理念[* 1][11][12]を持って足で稼ぐ人々であり、富を蓄えて大店を構えても天秤棒を肩に行商する商法から離れないことを特徴とした[13]。「天秤棒一本でを成す」という言い回しや、近江商人に由来の慣用句近江の千両天秤」(天秤棒一本あれば行商をして千を稼ぎ、財を成すという、近江商人の商魂の逞しさと表すと同時に、千両を稼いでも行商をやめず、初心を忘れることなく商売に励むという教訓が籠められている)[14]があるように、今も昔も近江商人にとってそれが歴史的・精神的の原点となっている[13]近江国(現・滋賀県)の湖東地方中部にあって中仙道の要衝でもあった五個荘(旧・五箇荘、旧・神崎郡五個荘町、現・東近江市五個荘地区)は近江商人のうち五箇商人などの出身地であるが[8][9]、「てんびんの里」をキャッチコピーとしており[15]、五個荘竜田町には近江商人博物館が設立されている。また、町内にある商人屋敷の庭には天秤棒で荷物を担いで歩く近江商人の銅像も建立されている。

担担麺と担仔麺

中国生まれの麺料理である「担担麺」の名は、元々は天秤棒にぶら提げて担いで売り歩いたこと、および、発祥地である成都方言で天秤棒を「擔(担担)」または「擔擔(担担兒)(タンタール)」と呼ぶことに由来し、「天秤棒の麺」の意をもって呼ばれたことに起源する。また、台湾台南市生まれの担仔麺も、その名は同じく台湾語で「天秤棒」を「擔仔(ターアー)」と呼ぶことに由来している。

伝承の中の天秤棒

日本各地で伝承される巨人であるダイダラボッチ民話の中には、天秤棒でを担ぎ上げるというものがある。それは、共に関東の名山として音に聞こえる富士山筑波山の重さを量ってやろうと思い立ったダイダラボウ(ダイダラ坊、ダイダラボッチの常陸国方言名)が、天秤棒に2つの山を結わえつけて担ぎ上げようとする内容で、果たして、筑波山のほうは持ち上げられたが、富士山は重すぎて持ち上げることができなかった。なんとか持ち上げようとするダイダラボウは、誤って筑波山を大地に落としてしまい、それゆえに今のようにこの山は二つに割れてしまっているのだという。

また、紀伊国(現・和歌山県)の神島に伝わる巨人の場合は、天秤棒でを担いで運ぶ途中で海に落としたという民話がある。詳しくは「神島 (和歌山県)#歴史」を参照のこと。


注釈

  1. ^ 「売手によし」「買手によし」という常識に「世間よし」を加えたもので、出先地域での経済的貢献が近江商人の経済活動を下支えした。
  2. ^ 上賀茂神社を発祥地とするスグキナ(酸茎菜)は、寛文7年(1667年)刊行の文献で栽培種として歴史に現れ、漬物の生産はその後のいつかということになる。

出典

  1. ^ Bamberger Auswanderer im Posener Land” (ポーランド語). Historisches-Franken (website). 2012年11月3日閲覧。
  2. ^ 水桶と天秤俸 相馬デジタルミュージアム
  3. ^ NHKネットクラブ 番組詳細(Asia Insight「重慶を支えた男たち~消えゆく棒棒~」)
  4. ^ 天秤棒”. 筑後市. 2021年5月24日閲覧。
  5. ^ 担苗篭(かつぎなえかご)”. 国土交通省太田川河川事務所. 2021年5月24日閲覧。
  6. ^ 『北斎画本早引―江戸文化イラスト百科』永田生慈監修、東京美術、2011年3月。ISBN 978-4-8087-0927-3
  7. ^ 画本早引”. 絵双紙屋(ウェブサイト). 和泉屋楓. 2012年1月17日閲覧。
  8. ^ a b 『きてみて五個荘』 五個荘町
  9. ^ a b 近江商人のルーツ:小幡商人 - 近江商人とは”. てんびんの里 五個荘 東近江市近江商人博物館(公式ウェブサイト). 近江商人博物館. 2012年1月16日閲覧。
  10. ^ 邦光史郎『日本の三大商人』徳間書店徳間文庫〉、1986年7月。ISBN 978-4-19-568094-0
  11. ^ 家訓 - 近江商人とは”. てんびんの里 五個荘 東近江市近江商人博物館(公式ウェブサイト). 近江商人博物館. 2012年1月16日閲覧。
  12. ^ 三方よしの理念”. 三方よし(公式ウェブサイト). 財団法人 滋賀県産業支援プラザ. 2012年1月16日閲覧。
  13. ^ a b 蒲生氏郷公と近江日野商人”. (公式ウェブサイト). 日野観光協会. 2012年1月16日閲覧。
  14. ^ 近江商人の特徴 - 近江商人とは”. てんびんの里 五個荘 東近江市近江商人博物館(公式ウェブサイト). 近江商人博物館. 2012年1月16日閲覧。
  15. ^ 近江商人博物館
  16. ^ a b c すぐき漬けの製法”. 京都の漬物 御すぐき處「なり田」(公式ウェブサイト). 京都府漬物協同組合、全日本漬物協同組合連合会. 2012年1月16日閲覧。
  17. ^ 伝承漬物について”. (ウェブサイト). 京漬物工房 池西. 2012年1月16日閲覧。


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