地図混乱地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 13:40 UTC 版)

概要
具体的には、「その土地について、登記記録のある者と実際に使用している者が別人で、両者に何の関連もないため、その土地に対する地権者が誰なのかが分からない」(地権者不明)、「登記記録のある地番が、具体的にどの場所に存在するのかが分からない」(不存在地)、「同一の土地に複数の登記記録が重複して存在しており、どの記録が正しいのかが分からない」(重複登記)などの事例が挙げられる。発生原因としては次の通り考えられる[1][2][3]。
これらの地域においては以下の通り、実際に地域住民の財産権や生活環境などが著しく侵害、制約される事態を招いている[2]。
地図混乱地域は、2002年(平成14年)の段階で全国に約750地域、面積で約820 km²[7][8]に上ることが分かった。
11 haにわたる六本木ヒルズ市街地再開発の折には、5枚にわたる公図ほか古い公用地境界査定図が現状と合っておらず、官民境界を始めとする土地の境界や面積の画定に多大な時間を要し[9]、地権者約400人、約600筆の土地買収にあたって約4年が費やされた。このような地図の未整備のために再開発が妨げられる事例は、決して少なくない[10][11]。
時代背景
太平洋戦争の終結直後の日本は、全国にわたって産業基盤が壊滅された状況にあり、大多数の国民が衣食住に事欠いた困窮生活を強いられていた。しかし、朝鮮戦争特需に始まる戦後の復興により、人口が急増するとともに、所得や消費が急激に活発化。1950年代半ばには、人口や産業の都市圏への集中が進むことから近郊地域の住宅需要が急拡大し、「衣食足り、次はマイホーム」と、持ち家を夢見る多くの人が世にあふれるに至った。一方、住宅が絶対的に不足する中、良好な住宅地環境を形成するために必要不可欠な計画立案や法整備は、大きく立ち遅れていた[12]。
そのような状況下、一部の宅地造成業者により、区画整理や地図訂正などの業務が適正に行われないままに、造成や販売が行われる事例が多発した。具体的には、見取図的な山林原野の地図と、縮尺や精度の異なる平地部の地図を混用し、現地照合を怠ったまま分筆をし続けて、土地の細分化を進めたのである[13]。
地図は、土地の現況を正確に反映したものでなければならない。本来であれば、登記機関が現地に赴いて、その土地の所在や形状を確認する実態調査を行わねばならず、手続的にもその旨が規定されている。しかし、各地で新興住宅地が建設されたこの時期、法務局を主とする登記機関はあまりの登記申請の多さに、実態調査を十分に行わないまま登記許可を出してしまう事例が相次いだ[5][14]。
1985年(昭和60年)以降、国会の法務委員会を主として、この問題がしばしば取り上げられるに至る。法務省は登記を確認しきれなかった責任を認め、「地図混乱地域の土地を善意で取得した住民に、直接の責任はない」と言及した[15]。
速やかな問題解消を図るべく、2003年(平成15年)6月に内閣官房都市再生本部において「主として全国の都市部における地籍整備を今後10年間で概ねなし遂げよう」との方針が示された。その翌年から、国土交通省や法務省など各省機関が連携し[16]、地籍調査を通じた不動産登記法第14条第1項に規定する地図[† 5]の整備作業を開始。2010年(平成22年)までの6年間で約58 km²を完了させた。さらに、2009年(平成21年)からの8年間にわたる130 km²の地図作成計画を新しく策定し、全国各地での実態調査や測量基準点の設置作業を進めている[17]。
注釈
- ^ 登記記録に記録されている事項の全部または一部を証明した書面で、かつての登記簿謄本、抄本に対応するものをいう。
- ^ 全国に点在していた未開墾地13,000 km²が6年間で測量され、約4,000枚の地図が作られた。こうして約14万戸の自作農が生まれた(森下1997 p.24)。
- ^ 宅地内に造成された生活道路を市町村道として認定してもらえない限り、道路や付随する側溝、下水道などの敷設や復旧などにかかる費用は、すべて住民で負担しなければならない。
- ^ 地方税法第381条第7項に「市町村長は、登記簿に登記されるべき土地又は家屋が登記されていないため、又は地目その他登記されている事項が事実と相違するため課税上支障があると認める場合においては、当該土地又は家屋の所在地を管轄する登記所にそのすべき登記又は登記されている事項の修正その他の措置をとるべきことを申し出ることができる」旨が規定されている。法務局で修正措置がとられない際には、市町村による測量をもって地積を計算し(調査士会 p.187)、あるいは登記面積に路線価指数を乗じて算出し(森下2007 p.104)、占有者(実際にその土地に居住している人)に課税するケースが見られる。
- ^ 緯度や経度を基に、1951年以降に行われる各自治体の地籍調査から作成される正確な地図で、「14条地図」「14条1項地図」ともいう。もともと同法17条に規定されていたことから、かつては「17条地図」と呼称された。なお、調査開始から60年を経た、2010年(平成22年)3月末時点での地籍調査進捗率は49%に留まる。
- ^ 具体的には、登記上の所有権者、実際に使用している占有者、抵当権者、仮登記権利者が挙げられる。ほか、関係市町村による協力も必須である(森下2007 p.21)。
- ^ a b 民法162条2項に「十年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その占有の開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、その所有権を取得する」旨が規定されている。
- ^ 地図訂正により各々の資産としての土地の価値が増減することは避けられないため、現実に集団和解の成立は難しい。地域全体の地図訂正自体には理解を得られたとしても、具体的な押印の段階に入ると、不満や金銭要求、境界線をめぐるトラブルが頻発し、いわゆる「総論賛成、各論反対」という壁に突き当たるという。また、所有者の住所確認ができない、係争による相続登記が済んでいない、多額の抵当権が設定されているなど、いわゆる「事故物件」の存在も和解の大きな障害となり得る(森下2007 pp.22,27,104-105,162)。
- ^ 調査図素図は地籍調査作業規程準則第16条に定められるもので、地籍調査を実施する際の必須資料である。
- ^ 里道(赤線)や水路(青線)など、昔から農道や用水路として地域住民によって作られた公共物のうち、道路法や河川法など管理に関する法律の適用外にあるものを法定外公共物という。これらは地租改正に伴って国有地とされていたが、2005年(平成17年)3月末までに市区町村に譲与され、その行政財産として管理されている。この法定外公共物が何らかの理由で現存しないときに、行政財産としての用途を廃止する手続きを行うことで、その土地について市区町村から購入する(つまり、払い下げを受ける)ことができる。ただし、その際には自治会長(町内会長)、水利関係者、隣接地所有者および利害関係人などの同意が必要となる。
- ^ 地券の発行に伴って、付図として作成された地図を「地券地図」、「(地租改正)地引絵図」(じびきえず)という(森下1995 p.26)。
- ^ 字限図は所有者の自己申告で作成し、これを官吏が検査した。図面の作成目的が租税徴収であることが知られていたため、実際の面積より小さく測って記載されるなど、正確さに欠けるものであった。地籍調査をすると、実際と字限図の広さとでは、2割程度違う場合があるという(毎日新聞 1993年5月31日夕刊、平成14年度土地家屋調査士試験 第4問)。
- ^ 土地の重複や脱落を防ぐために、一筆の土地ごとに押さえながら調査したことに由来する。さらに、明治時代初期から作成された上述の地図を総称して「談合絵図」(だんごうえず)、「談子図」(だんごず)、「野取絵図」(のとりえず)などともいわれる(森下1995 p.60、平成14年度土地家屋調査士試験 第4問)。
- ^ 2005年10月時点における、法務局(登記所)備付地図の総枚数は約646万5千枚。うち、公図(地図に準ずるもの)は287万枚。さらに、その大半を占める約207万枚は、明治時代に作成された土地台帳付属地図である(清水他2006 p.23)。
- ^ 国土調査法に基づく「地籍図」、土地区画整理事業による「確定図」も、それぞれ同様に扱われる。
- ^ 川崎市の測量助成制度については2022年3月31日をもって廃止された[34]。
- ^ 1955年に施行された土地区画整理法により、旧認可の区画整理は1960年3月末までに完了すべき制限が付加されたことによる(調査士会 p.186)。
- ^ 不動産登記法第37条に「地目又は地積について変更があったときは、表題部所有者又は所有権の登記名義人は、その変更があった日から一月以内に、当該地目又は地積に関する変更の登記を申請しなければならない」旨が規定されている。つまり、土地の用途を変更したとき(山林や畑を造成して家を建てたときなど)は、1か月以内に「地目変更登記」を行わなければならない。
- ^ 「市による測量を受け、測量図を保有している上に、これに従った固定資産税が課税されているから、自分所有の土地は問題ないはず」と、多くの地権者は地図混乱の実態を認識していなかったという(調査士会 p.188)。
- ^ 農地法第4条・第5条により、4 haを超える農地を転用する場合は、農林水産大臣による農地転用許可が必要となる。そのためには、里道、水路や畦畔の境界画定、農地所有者ごとに造成後の区画に合わせた測量と分筆、農業委員会への宅地転用許可申請を、それぞれ行わなければならない。
出典
- ^ 森下1995 p.103
- ^ a b “地籍調査・登記所備付地図整備の促進策に関する提言” (PDF). 民主党. 2011年3月13日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 衆議院予算委員会第三分科会. 第159回国会. Vol. 2. 2 March 2004.
法務省民事局長 房村精一
- ^ 調査士会 p.188
- ^ a b “民主党「地図PT」が大津市住吉台の地図混乱地域を視察”. 民主党 (2009年4月27日). 2009年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月2日閲覧。
- ^ “地方税法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2011年4月29日閲覧。
- ^ 参議院法務委員会. 第162回国会. Vol. 9. 5 April 2005.
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- ^ a b “地籍調査資料” (PDF). 土地総合研究所. 2011年4月29日閲覧。
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- ^ 森下2007 p.159
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- ^ 森下1997 pp.13-14
- ^ “インサイド滋賀 所有権不明確「地図混乱地域」大津・住吉台 新地図へ住民・行政一体” (PDF). 読売新聞. (2009年11月30日) 2011年6月6日閲覧。
- ^ 衆議院予算委員会第三分科会. 第159回国会. Vol. 2. 2 March 2004.
分科員 川端達夫、法務省民事局長 房村精一
- ^ 衆議院法務委員会. 第159回国会. Vol. 23. 11 May 2004.
法務省民事局長 房村精一
- ^ 衆議院法務委員会. 第159回国会. Vol. 5. 26 March 2010.
法務副大臣 加藤公一
- ^ 森下2007 pp.158-160
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- ^ 森下2007 pp.155,161
- ^ 森下1995 pp.171-215 森下1997 pp.104-120 森下2007 pp.23,64,86
- ^ 森下1995 pp.215-222 森下1997 pp.118-119
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- ^ 森下1997 pp.129-130
- ^ “宮前区の蔵敷団地 「公図混乱」12日に和解成立”. 東京新聞. (1994年9月9日)
- ^ “公図混乱地域の川崎・蔵敷団地 境界争い解決へ”. 神奈川新聞. (1994年9月9日)
- ^ 森下1995 pp.83-90
- ^ 調査士会 p.197
- ^ “活動紹介” (PDF). 夢野西まちづくり協議会. 2011年5月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “戦前から混乱 区画整理すっきり 兵庫区湊川10丁目、菊水町10丁目 登記変更なく半世紀”. 神戸新聞. (1996年8月25日)
- ^ “でたらめ地番訴訟の住民勝訴 「やっと自分の土地に」井戸生活に耐え喜び”. 中国新聞. (1991年7月31日)
- ^ 森下1995 pp.90-98
- ^ 2019.2.5朝日。
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