傀儡子 『傀儡子記』

傀儡子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/09 21:43 UTC 版)

『傀儡子記』

1087年[12]に大江匡房によって書かれたもので、漢文体320文字程度の小品だが[13]、当時の傀儡子たちがどのような生活様式をもち、どのように諸国を漂泊していたかがうかがわれる数少ない資料となっている。傀儡子集団は定住せず家もない、水草を追って流れ歩き、北狄(蒙古人)の生活によく似ているとし、皆弓や馬ができて狩猟をし[5]、2本の剣をお手玉にしたり七つの玉投げなどの芸、「魚竜蔓延(魚龍曼延)の戯」といった変幻の戯芸、木の人形を舞わす芸などを行っていたとある[4]。魚龍曼延とは噴水芸のひとつで、舞台上に突然水が噴き上がり、その中を魚や竜などの面をつけた者が踊り回って観客を驚かせる出し物である[14]

また、傀儡女に関しては、細く描いた眉、悲しんで泣いた顔に見える化粧、足が弱く歩きにくいふりをするために腰を曲げての歩行、虫歯が痛いような顔での作り笑い、朱と白粉の厚化粧などの様相で[4]、歌を歌い淫楽をして男を誘うが、親や夫らが気にすることはなく、客から大金を得て、高価な装身具を持ち、労働もせず、支配も受けず安楽に暮らしていると述べ、東海道の美濃・三河・遠江の傀儡女がもっとも美しく、次いで山陽の播磨、山陰の但馬が続き、九州の傀儡女が最下等だと記す[5]。なお、大江匡房は『遊女記』も著しており、「遊女」と「傀儡女」はどちらも売春を生業とするものの、区別して捉えていたとされる。

ゆかりの場所

画像


  1. ^ えべっさんのまち散策西宮流観光案内所
  2. ^ 『川柳江戸砂子』西濃印刷會社岐阜出版部 -
  3. ^ a b c 古要神社の傀儡子の細男舞と神相撲田原久、国立劇場『日本の民俗劇と人形芝居の系譜』、1968年
  4. ^ a b c d 傀儡女の登場と変容: 日本における買売春服藤早苗、埼玉学園大学紀要(人間学部篇)第10号、2010-12
  5. ^ a b c くぐつ『遊女の時代色 : 趣味史談』武田完二 著 (大同館書店, 1934)
  6. ^ 『新撰十訓抄』田中健三著 (東林書房, 1931)
  7. ^ 文楽の歴史独立行政法人日本芸術文化振興会
  8. ^ 間瀬久美子『近世朝廷の権威と寺社・民衆』吉川弘文館、2022年、P315-316・388-389.
  9. ^ 方相・傀儡・郭禿・鍾馗―「天籟」もう一つの身体技法山口建治、神奈川大学『非文字資料から人類文化へ ―研究参画者論文集―』2008
  10. ^ 『医事雑考竒珍怪』田中香涯著 昭和14
  11. ^ 筒井功『サンカの起源 クグツの発生から朝鮮半島へ』河出書房新社、2012年6月15日
  12. ^ 徳島県下における岐神信仰に関する言説 近藤直也、九州工業大学、2013年,p13
  13. ^ 「大江匡房の『傀儡子記』の全文を読みたい。」(近畿大学中央図書館) - レファレンス協同データベース 2013年03月25日
  14. ^ 魚龍曼延の戯とは何か 『日本民族文化史考』白柳秀湖著 (文理書院, 1947)
  15. ^ にしのみや 歴史見聞録 傀儡師故跡(産所町) 人形操り発祥の地西宮市、2011年5月10日
  16. ^ 『日本操り人形史: 形態変遷・操法技術史』加納克己、八木書店, 2007
  17. ^ 田中組神楽車 「傀儡師」~船弁慶SEISYSTEM、2012/05/24


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