佐伯三貴
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エピソード
ゴルフ
- ツアー出場の際には、ハウスブランドである『田中ゴルフ』(田中は田中金蔵に連なる母系の姓)の「stony」シリーズのゴルフウェアを着用する。大会の最終日には、自分を奮い立たせる精神上の手段として、同ブランドの黒のゴルフウェアを着用することを信条としている。2007年のシーズン中盤に若干のスランプを経験した際には、周囲の意見を聞き入れて黒の着用を控えていたが、同シーズン終盤以降、再び「勝負服」として黒のウェアを頻用している。
- 2007年京楽カップ第8回日韓女子プロゴルフ対抗戦においては、大会史上初めてプレーオフに突入した。プレーオフ第1陣の横峯さくら・李宣和、第2陣の諸見里しのぶ・全美貞とも引き分け、第3陣の古閑美保が張晶に競り勝って日本チームが優勝したが、この際の第4陣は三貴が出る予定であった。三貴は、日韓戦の優勝自体には喜びながらも、本当は自身が出て勝負を決めたかったという感情があったと言及している。
- 日韓戦においてもワールドカップにおいても、出場の際に「韓国だけには負けたくない」とライバル心をあらわにする。これは、すでに韓国出身ゴルファーが米ツアーや日本ツアーで多く活躍していることというよりも、アマチュア時代に自身が在籍したナショナルチームでの国際試合において韓国代表チームと数多くの激戦を繰り広げた経験による。2007年韓国ツアー賞金女王で10億ウォンプレーヤー(億台プレーヤー)となった申智愛は三貴より齢下だが、アマチュア時代の2005年に台湾の揚昇ゴルフクラブで開催されたネイバーズトロフィー選手権において首位を走っていた申智愛を最終日に差しきって三貴が優勝した経験から、特にライバル意識を持つ。2008年ワールドカップでは三貴の日本チームは3位に入る好成績を残したものの、申智愛の2位韓国チームをかわして優勝できなかったことを重ねて悔しがった。
- 両親の佐伯行生夫妻は、国内で開催される三貴の試合には、たびたびキャンピングカーを操って応援に駆けつけるほか、海外試合にも積極的に同行して公私にわたって支援するなど、熱心な応援ぶりを見せる。
- 三貴が出産時にとりあげられた東広島市西条町寺家の馬越(まごし)産婦人科医院院長も、佐伯家と家族ぐるみの付き合いのあるゴルフ仲間である。馬越院長が、小学校時代の三貴をラウンドに同行させてくれた際、三貴が人生で初めてハーフで50を切ることができた。
- 2007年ミヤギテレビ杯ダンロップオープンは、三貴と弟・佐伯幸憲がともに所属する東北福祉大学ゴルフ部のある仙台市に隣接する宮城郡利府町の利府ゴルフ倶楽部での、いわゆる大学地元開催であったため、意気込んだ幸憲は三貴のキャディを申し出たが軽く拒絶され、渋々李廷恩プロのキャディをつとめた。このことから一時、姉弟不仲説が持ち上がったが、母および三貴本人は公式にこれを否定し、姉弟関係は良好である旨を言及している。
- 2007年サントリーレディースの大会期間中に、コーチの坂詰和久と食事をしながら打合せしていた際、偶然尊敬する片山晋呉と会い坂詰に片山を紹介されたが、三貴は体が硬直してまともに話せなかった。
- 2007年6月1日のリゾートトラストレディス初日、風邪をこじらせ腰部筋肉痛に苦しみ、消炎鎮痛剤・栄養剤の点滴を受けて強硬出場したにもかかわらず、-4の68で首位発進を遂げた。ラウンド後に受けたインタビューにおいて体調のことを質問された際、「体調の悪さは、性格の悪さでカバーします」とギャグ入りコメントで受け答えし、新人らしからぬ大物であると評判になった。
- 2008年2月にゴルフ雑誌の取材を受けた際、「年間3勝」を目標に上げ、目標未達の場合には「銀座のママになります」と公言した。
- 2008年3月8日のダイキンオーキッド2日目の朝、那覇市内のホテルで起床後に歯磨きでうがいをしていたところ、前週に歯科矯正のために抜歯した右あごの2番目の前歯跡に嵌めていた仮歯(テンポラリー・クラウン)がポロっと外れ落ち、三貴は鏡に映る歯抜けになった自身を凝視し唖然となった。プレー中にギャラリーの、テレビ中継で視聴者の大爆笑を浴びるシーンが頭を駆け巡り、パニック状態となった三貴は、猛烈な勢いで同泊の関係者各者を叩き起こし、森本真祐キャディ、マネージャーなどと大騒ぎしてホテル周辺の歯科医の所在を調べまくり、ただちに朝食も摂らずにタクシーで20分飛ばして、開院前の那覇市内の歯科医院の戸を叩いて歯科医に頼み込み、急いで取れた仮歯を嵌める応急処置を受けた。診療後、ふたたびタクシーを30分強飛ばして試合会場の琉球ゴルフ倶楽部に向い、大会2日目のスタート時間である9時48分に必死の思いでコースに到着し、何とか試合に間に合ってスタートすることができた。ところが、今度はプレー中にゴルフシューズのスパイクがポロッと外れて飛び、やむなく替わりのシューズを取ってきてもらう間、足下不充分なままプレーを続行するはめになった。このような、前歯とスパイクが歯抜けの上に朝食抜きという、精神的にも物理的にも相当ハードなラウンドとなったにもかかわらず、スコアは3アンダーの69で暫定順位を上げるという好成績を残し、ホールアウト後のTBS系放送のインタビューにおいては、一連のアクシデントには一切触れずに仮歯を嵌めなおした笑顔で視聴者に向けて手を振って愛嬌を振りまくなど、大物ぶりを見せつけた。
- 2008年4月11日、スタジオアリス女子オープン初日4番ホールにおいて激しい左手首痛を感じ、9ホール終了後に、アマチュア時代の競技会を含めて人生で初めて途中棄権した。前週に強風下で行われたヤマハレディースオープン葛城において、パンチショットを多用し腱鞘炎を悪化させたのが原因とされている。
趣味
- 気分転換に海岸や湖沼・河川・渓流を訪れるのを好み、ツアー転戦の間日やオフシーズンのちょっとした時間を活用して立ち寄る。また、同行者が父の佐伯行生やキャディの森本真祐など、釣り好きの気の置けない相手である場合、釣具を用意して気軽に釣りを楽しむことが多い。
- 親しいプロ仲間や東北福祉大学の仲間と、カラオケやボウリング、ビリヤードに興じるのが好きで、かなりの腕前である。ボウリングのアベレージは160ピンほどで、上記のテレビ収録においてもその腕前を披露した。カラオケにおいては、Jポップ特にバラードナンバーを得意とし、オハコ(18番)は倖田來未の各曲である。多いときは週に5回は通うと言及している。
- 父の佐伯行生は、ランボルギーニやメルセデス・ベンツなどの高級車を数台所有する車好きである。三貴は、故郷広島への郷土愛からマツダ社製のスポーティ車RX-8を愛用していたが、2007年にフジサンケイレディスで優勝した際、副賞としてBMWのコンパクトモデル1シリーズ 120iを贈られてからは同車を愛用していた。2012年11月にマツダと車両提供契約を結び、SUV CX-5を愛用している。[2]
おしゃれ
- ネイルアートに熱心で、頻繁にネイルサロンに通い、ときには東広島の実家まで贔屓先の大阪のネイルサロン「BeautyNail」から出張施術を招くこともある。2007年フジサンケイレディス優勝時にはゴールドのラメ、2008年ワールドカップ参戦時には日の丸や王冠、「1番」を意味する「1」などを鮮やかにメイキャップするなどのこだわりを見せている。
- ヘアカットは、およそ2~3か月に1回のペースで、美容室で調髪する。アマチュア時代から現在に至るまで、基本的にセミロングを好む。
- ゴルフウェア同様に、和装も黒が似合い、2008年1月8日に開催されたワールドカップの公式記者会見においては、佐伯家なじみの広島県三次市の呉服店『絹の庵河田屋』で仕立てた、黒錦に柄織の鮮やかな振袖姿で臨み、巷間の耳目を集めた。2008年3月22日に行われた東北福祉大学卒業証書授与式には、学業行事を優先し同週開催のプロツアーヨコハマタイヤPRGRレディスを欠場して参加、祖母から譲り受けた薄黄の中振袖に紫紺の袴という明治時代~大正時代の女学生ファッションで登壇して、卒業証書授与とともに学部長特別表彰を受彰し注目を集めた。
- 以前から前歯の不並びを気にしていた三貴は、2008年シーズン開幕を前に、矯正歯科の受診を決意した。前歯の矯正は、非抜歯矯正による部分矯正が効かず、成人の全歯規模での矯正には最低でも2年、長ければ10年以上の矯正期間を要するため、短期間の施術が可能な抜歯矯正を選択、2008年フィールズオープンから帰国後の2月第4週から3週間規模の抜歯矯正を行った。2008年2月26日に、不並びの前歯2本を抜歯して仮歯を入れ治療を開始したが、このことが上記の2008年ダイキンオーキッド2日目のアクシデントを引き起こすこととなった。
グルメ
- 好物は白飯の飯である。海外遠征時にも、白飯は欠かせない。全英リコーオープンに出場した際には、夕飯用にサトウ食品の「サトウのごはん」とふりかけを現地に持ち込んだほか、ワールドカップ参戦時には、現地の在南ア日本人に依頼して白米の手配をしてもらい、母が随行しておにぎりや牛丼を供した。
- 広島市南区京橋町にある広島とんこつラーメンの老舗 『麺工房青竹打ち中華そばたこ坊主』は、三貴が小学校在学中から通いつめる贔屓店である。
- セント・アンドリュースのデザイン制作にも参画したチャールズ・ヒュー・アリソンの設計による名門コース・広野ゴルフ倶楽部などが至近にある兵庫県三木市の志染駅周辺には、有名割烹が立ち並ぶが、そのなかのひとつ『割烹くりやま』は、三貴の叔父が経営する店舗である。 この縁で、三貴は、兵庫県を訪れた際には積極的に他プロ等を誘って、同店を訪れ料理に舌提を打つ。 原江里菜、福嶋晃子、佐々木慶子、諸見里しのぶ、江連忠、山口裕子、土田麻依子など、多くのプロゴルファー、プロコーチ、プロキャディが同店に招待されている。
- 神戸市中央区の三宮駅近くにある、宮崎牛焼肉店『鶴屋』を贔屓にしており、神戸市内を訪れた際にはよく立ち寄る。三貴がお気に入りの同店メニューは、カルビ、ハラミ、白テッチャンである。
癒し・くつろぎ
- 東北福祉大学在学中の住居は仙台市内であったが、地元広島への愛着は深く、在学中の学期中にも、卒業後のプロツアー期間中にも、週末には可能な限り心の拠りどころとなる東広島に帰郷するよう心がけている。特に、年末年始には必ず帰郷し、母とともにおせち料理を用意したり、初詣には東広島市西条町御薗宇にある観現寺に参拝する。
- 広島カープのファンで、3Wのヘッドカバーは球団マスコットのカープ坊ややマペットを改良したものを使用している[3]。「私は一歩抜けた“カープ女子”です」と自称している[4]。
- 自宅周辺やプライベートな道中では、黒セルのウェリントンフレームのメガネを愛用することが多い。
- 普段から携帯電話を手放せない。公式ブログの更新もPCを使わずもっぱら携帯電話を活用、海外からも国際ローミング機能を用いて携帯電話で更新する。
- 佐伯家では、兄が学生時代に捨て犬を拾ってきて以来、多くの犬を飼育している環境から、三貴も愛犬家である。飼育しているのは、年齢順に、「テン」(メス、雑種)、「レオ」(オス、ミニチュア・シュナウザー)、「リップ」(メス、ミニチュア・シュナウザー)、「タイガー」(オス、シーズー)、「ナナ」(メス、タイガーとリップの子でヨーキー風の風貌)、ポンタ(オス、キャバリア)、トラ(オス、ナナとポンタの子)、ビビ(メス、ナナとポンタの子)の計8頭である。特に、三貴は「タイガー」を愛犬とし「たいちゃん」の愛称をつけて寵愛しており、兄は「テン」と「ポンタ」を愛犬としている。現在では、兄が成人し三貴も通学やツアーで家を空けることが多いことから、各犬とも平常はもっぱら母が飼育を担当しているが、各々帰宅の際には愛情を持って接する。主体的に飼育を開始したのは4頭だけだが、あまりにも繁殖傾向が強いため、「トラ」と「ビビ」の出生後、全犬去勢した。
- 自分単独、あるいは仲間と一緒に「変顔」をするのが得意である。特に、古閑美保や原江里菜など、ノリの良い気の置けない仲間が一緒である場合、破壊的な変顔を披露する。
男性の嗜好
- 精神論的に尊敬するのは片山晋呉だが、「私の大好きなプロゴルファー」として、呉武田学園中学校に進学したころから宮本勝昌プロゴルフ選手会長に憧れ続けていることを公言している。三貴が用品用具契約先にブリヂストンを選んだのも、宮本の契約先がブリヂストンであるためであり、プロになって一番嬉しかったことは、「2007年(12月20日開催)のブリヂストンの(ツアーステージ発売10周年記念)パーティで宮本と会うことができ、近くで話ができたこと」であると公言してはばからない。2008年2月20日(現地時間)、ハワイ島でトレーニングをしていた宮本が、雑誌取材企画でフィールズオープンの大会会場を訪れて参加選手を訪問する機会があり、三貴は普段より念入りなメイクを施した上、宮本と再会し2人で話をしている間、終始鼻の下を伸ばしてデレデレとした表情を見せた。
- しかし、ミーハーな面もあり、TBSの「2007 史上最大 スポーツ大感謝祭」で嵐のメンバーと共演した際の感想を、「萌えぇ〜」と語っている。
その他
- 2007年9月18日、ミヤギテレビ杯ダンロップオープン前日に、白血病や重度の気管支障害などの児童が入院する宮城県立こども病院を、高橋美保子、小川あい、原江里菜、有村智恵、和田委世子とともに慰問した。同月20日には、訪問の返礼として子供たちから三貴の同月22日に迎える23歳へのバースデーケーキと祝福メッセージが届き、三貴は周囲を顧みることなく感涙した。
- 2008年1月31日、広島市中区のリーガロイヤルホテル広島において、三貴の「2007年フジサンケイレディス優勝祝賀パーティー」が、オフィス・ゲンキ主催により開催された。当日は、海老原清治や山本浩二ら著名な広島出身者をはじめとして全国から750名以上もの参加者が集まり、この種のパーティーでは類を見ない盛会となった。また、来場者へのお土産として、三貴の似顔絵入りオリジナルタオル(非売品)が配布された。
- 2008年5月2日、クリスタルガイザーレディスは大会初日にあたり、開催地千葉市若葉区の京葉カントリークラブ至近にある千葉マリンスタジアムで行われる日本プロ野球の千葉ロッテマリーンズ対埼玉西武ライオンズ戦のワンデースポンサーとなった。 これにともない、クリスタルガイザーは大会PRのため、同試合始球式にクリスタルガイザーレディス出場選手を広報派遣することとした。この始球式要員には、佐伯三貴と諸見里しのぶが抜擢され、初日クリスタルガイザーレディス同組でラウンドした2人は、ホールアウト後間もない16時30分に京葉カントリークラブを出発、千葉マリンスタジアムにおける18時からの始球式イベントに参加した。 2人は両チームの代表に対して花束を贈呈したあと、そろってマウンドへ向い、大松尚逸、今江敏晃の両名をキャッチャーにして投球。諸見里の投球は、やや右にそれるボール球となったが、三貴の球はノーバウンドのストライクボールとなった。始球式終了後は、2人とも試合終了まで観戦し、三貴は「プロ野球選手のパワーを貰って帰りたい」と発言した。
注釈
- ^ その後、2018年の「CAT Ladies」において、大里桃子がプロテスト合格後23日目で優勝した。
出典
- ^ a b "引退ドミノ…佐伯三貴も次戦でツアー引退「万全の体調で試合に臨む事が難しく」". Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. 18 November 2019. 2019年11月18日閲覧。
- ^ オフィシャルブログ(2012年11月27日付)
- ^ スポーツニッポン、2014年6月1日
- ^ 佐伯「私は一歩抜けたカープ女子」野球話にノリノリ/国内女子
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