ぶらじる丸 BRASIL MARU

ぶらじる丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 16:47 UTC 版)

BRASIL MARU

BRASIL MARU
基本情報
船種 貨物船
クラス BRASIL MARU級貨物船
船籍 パナマ
所有者 洞雲汽船&Tamou Line S.A.
運用者 商船三井
建造所 三井造船千葉事業所
姉妹船 TUBARAO MARU
信号符字 3ENR9
IMO番号 9321275
MMSI番号 352131000
経歴
竣工 2007年12月7日
現況 現役
要目
総トン数 160,774トン[87]
載貨重量 327,180トン[87]
排水量 不明
全長 340.0m[87]
垂線間長 325.0m[87]
型幅 60.0m[87]
型深さ 28.15m[87]
喫水 21.13m[87]
主機関 三井製MAN B&W式7S80MC-C型ディーゼル機関 1基[87]
推進器 1軸[87]
最大出力 23,640kW × 66回転/分[87]
航海速力 15.0ノット[87]
航続距離 不明
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概要

新日本製鐵(新日鐵)(当時)の製造拠点のうち、大分製鐵所は喫水の深い船でも入港が可能というメリットがあり、このことから商船三井側が新日鐵からの「大分製鐵所に横付けが可能な30万トンクラスの運搬船を使用して原料調達を行いたい」という要望を受け入れて建造を決断した[3]。しかし、30万トンクラスもの船舶の運用方法では入港地が限られて従来の三国間輸送は難しく、日本(大分製鐵所)とブラジルのポンダ・ダ・マディラ英語版を直接運航することとなった[3]。シャトル輸送の形態をとることに関しては異論もあったが、「新しいオペレーションを構築する」という意図のもとに理解が得られた[3]。船名は、日本とブラジル間のみをシャトル輸送することと、2008年が「笠戸丸」による移民輸送100周年にあたっていたことから「BRASIL MARU」と命名されたが、その用途から正式に命名されるまでに商船三井内部で「ぶらじる丸」と呼ばれていた[3][88]。船主は洞雲汽船とパナマのタモウ・ラインであり、船籍はパナマに置かれている[87][3]。商船三井は運航を担当している。

「BRASIL MARU」は三井造船千葉事業所で建造され、2007年12月7日に竣工[87]。同型船には「TUBARAO MARU(つばろん丸)」がある[89]。竣工後は新日鐵と20年超にわたる長期契約を締結し、同社の製鉄所向けの鉄鉱石をブラジルから運搬している[3]。2012年5月には、留学生として「ぶらじる丸」でブラジルに渡った経験があるUCC上島珈琲の上島達司会長が君津製鐵所で荷役中の「BRASIL MARU」を訪問した[90]

特徴

構想の時点から新日鐵が深くかかわっているが、建造でも新日鐵の協力で日本の造船業界では初めて超音波衝撃処理技術[91](UIT/Ultrasonic Impact Treatment)による疲労強度改善処理を導入し、鉄鉱石が主貨物であることから浮力に余裕を持たせた船型を開発して、総体的に船体強度を高めている[87][92]。日本とブラジル間のみのシャトル輸送が主ではあるが、日本最大の鉄鉱石の輸入相手国であるオーストラリアへの寄港も念頭に置かれた船体設計となった[87]。また、環境に配慮した燃料タンク構造やディーゼル機関を導入した[87]。これらの点が評価され、2007年度の日本船舶海洋工学会選定「シップ・オブ・ザ・イヤー」の大型貨物船部門を受賞した[92]


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  63. ^ #駒宮 (1987) pp.47-48
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