鳥羽ぶらじる丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:07 UTC 版)
「ぶらじる丸」も参照 鳥羽ぶらじる丸は、鳥羽一丁目2383番地1にあった海上パビリオン。移民船として日本と南米を結んだ貨客船「ぶらじる丸」は1973年(昭和48年)3月に退役し、鳥羽市が誘致して観光施設として佐田浜沖に係留されていた。 1973年(昭和48年)9月28日、鳥羽市は「ぶらじる丸誘致特別委員会」を設置してぶらじる丸の誘致に乗り出し、翌1974年(昭和49年)1月23日に大阪商船三井船舶(現・商船三井)、商船三井客船、近畿日本鉄道、鳥羽市開発公社などの出資で運営会社として「鳥羽ぶらじる丸観光株式会社」が設立された。三菱重工業神戸造船所で改装工事を施し、同年7月5日に観光施設「鳥羽ぶらじる丸」として開業した。 白色の船体にオレンジ色のファンネルが特徴で、船内は展示室(マリンミュージアム)、ホール、ショッピングコーナー、ゲームコーナー、レストランなどがあった。操舵室や機関室などはそのまま保存されていた。 修学旅行生を中心に多くの来船者があったが、バブル崩壊によって経営が悪化し、1996年(平成8年)1月30日に営業を終了した。開業からの来船客数は1000万人を超え、最後の3日間は無料化されたこともあり、約9,000人が訪れた。営業終了後もしばらくは鳥羽ぶらじる丸観光の会社清算のため事務所として利用された後、解体のため中国へ曳航されていった。しかし実際には解体を免れ、1997年(平成9年)に広東省湛江市で観光施設「湛江号」として再開業していたことが2009年(平成21年)に報じられた。甲板に設置されていたガリバーのすべり台は、曳航前に鳥羽市大明東町の鳥羽市民の森公園へ移設され、2019年(平成31年/令和元年)現在も残っている。
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