2000年代~2010年代:LGBT政策の具体化とHIV感染拡大とは? わかりやすく解説

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2000年代~2010年代:LGBT政策の具体化とHIV感染拡大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:34 UTC 版)

日本における同性愛」の記事における「2000年代~2010年代:LGBT政策の具体化とHIV感染拡大」の解説

日本での男性同性間の性接触原因とするHIV感染によるエイズ発症者の増加顕著で、異性間感染による発症者数が2001年以降横ばいであるのに対し男性同性間感染による発症者数は2004年異性間感染発症者数を超えその後増加続いている。HIV感染予防啓発取り組み強化NPOなどの協力得て検討される同時に各自治体などではHIV陽性者就業支援などのサポート行われている。 人権擁護法案ゲイ襲撃事件 2000年には同性愛者狙った新木場殺人事件」が起き一人殺害され被害届出されたものだけでも数十件に及んだことからゲイ社会震撼させた。そうした情勢の中で人権擁護法案準備され人権擁護推進審議会2001年出した答申において同性愛含めた性的マイノリティについて言及。これを受けて提出され同法案は、日本初め性的マイノリティ人権救済明記された。 同性愛者人権擁護条例カミングアウト議員誕生 2003年には、宮崎県都城市全国初め同性愛者の人権明記した条例施行する同年大阪府議会において日本初め同性愛者であることを公表した地方議会議員尾辻かな子当選する。彼女はその後性同一性障害である上川あやとともに、「セクシャルマイノリティ議員連盟」を発足させる連盟には、カミングアウトていない議員含めて複数議員参加している。同じく2003年レインボーマーチ札幌では、札幌市長の上田文雄参加したが、日本において地方自治体の首長LGBTイベント参加したのは、これが初めてだった。2011年地方統一選挙では、東京都豊島区議会石川大我が、同中野区議会では石坂わたる当選し日本最初ゲイ公表している議員誕生となった政党同性愛者対策の実施公約化 政治面では、複数政党同性愛者政策取り組みつつある。2000年には社会民主党2007年には日本共産党2009年には公明党2012年にはみんなの党国政選挙性的少数者に関する公約掲げた。また日本維新の会公約では言及していないが、「レインボープライド愛媛」が2012年行ったアンケートで、人権問題として性的少数者問題取り組んで行くことや同性結婚制度導入賛成した同性愛肯定論が50未満で8割近く国民同性愛対す見方年々肯定的になりつつあり、例え電通総研調査によれば同性愛認める人は2005年40%おり、十年ごとに10%ずつ上昇してきている。2013年6月4日発表されピュー・リサーチ・センター調査では、日本同性愛認めるとの回答全体54%だった。但し世代別の差が大きく18歳以上30歳未満では83%、30歳以上50未満では71%、50歳以上で39%となっており、50未満世代では同性愛肯定する意見が8割近く占めた同性愛者多様性への理解 2000年代以前にもまして、女装オネエゲイであることをカミングアウトしたタレント多くなり、地上波娯楽番組にも多く同性愛者出演していた。著名人になるゲイもいた。2013年3月には、フジテレビ系バラエティ番組笑っていいとも!』で「オネメン・コンテスト」が開催され、非女装・非オネエゲイ次第出演するようになっている。それによりこれまで一面的だったが、多様なゲイ存在徐々に認識され支持されるようになりつつある。 LGBTコミュニティ変化 情報化社会迎えインターネット普及したことで、新宿二丁目などのオフラインLGBTコミュニティ衰退危機瀕している。顧客減少煽り受けたゲイ/レズビアンバーやゲイクラブ・イベントは異性にも門戸開き生き残り図ろうとする。また昨今の「オネエブーム」で新宿二丁目観光地として取り上げられる機会増えたことも、異性愛者訪問者激増させる要因になっている。しかしその結果同性愛者新宿二丁目に足を踏み込みづらくなってしまい、彼らの居場所奪われるという深刻な事態招いている。また、2010年代後半には「G-men」と「Badi」が休刊し、紙媒体月刊誌は「薔薇族」と「SAMSON」の二誌を残すのみになるなど、脱紙媒体傾向顕著となった。その一方でインターネットスマートフォンの普及によって、新し出会いの場とメディア登場した2009年アメリカ合衆国で、ゲイ男性間性交渉者向けとしては初の位置情報使った出会い系アプリGrindr(英語版)がサービス開始する2011年日本開発されたナインモンスターズがリリースされ2019年には日本国内アクティブユーザー45万人突破するなど、ゲイコミュニティ一角を成すようになったまた、2012年にはゲイ向けウェブマガジンのGENXYがスタート2018年にはTwitter上でLGBTQフェミニズムについて情報発信を行うパレットークがサービス開始した

※この「2000年代~2010年代:LGBT政策の具体化とHIV感染拡大」の解説は、「日本における同性愛」の解説の一部です。
「2000年代~2010年代:LGBT政策の具体化とHIV感染拡大」を含む「日本における同性愛」の記事については、「日本における同性愛」の概要を参照ください。

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