2000年代〜2010年代前半
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「ACミラン」の記事における「2000年代〜2010年代前半」の解説
2001-02シーズンは、フィリッポ・インザーギ、マヌエル・ルイ・コスタら大型補強を敢行して、ファティ・テリムが監督に就任するも中位に低迷。シーズン途中にカルロ・アンチェロッティが監督に就任してチームを立て直し、セリエAを4位で終了してUEFAチャンピオンズリーグ予備予選出場権を獲得した。2002-03シーズンは、前年に続きリバウド、アレッサンドロ・ネスタといった大物を獲得。アンドレア・ピルロをレジスタに置くシステムが機能し、UEFAチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアにて優勝を達成。チャンピオンズリーグ決勝ではユヴェントスと対戦、スコアレスで迎えたPK戦でGKジダが3本をストップ、同国対決を制した。2003年夏の移籍市場ではカカ、カフーらを獲得。2003-04シーズンはUEFAスーパーカップとセリエAにて優勝を達成した。 2004-05シーズンはスーペルコッパ・イタリアーナにて優勝を達成したものの、セリエAでは2位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールFCと対戦し敗れた。この敗戦はイスタンブールの悲劇とも呼ばれる。2005-06シーズンは4季ぶりの無冠に終わり、シーズン終了後に発覚したカルチョ・スキャンダルによって、「2005-06シーズンのリーグ戦での勝ち点-44」、「2006-07シーズンのセリエAを勝ち点-15からの開始」という処分がイタリアサッカー連盟のスポーツ裁判所によって下された。控訴審では処分が軽減され、最終的に2005-06シーズンの勝ち点は58となり、3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まったほか、2006-07シーズンのセリエAは勝ち点-8からの開始となった。 2007年冬の移籍市場ではロナウドを獲得し、2006-07シーズンはカカが大車輪の活躍を見せ、UEFAチャンピオンズリーグにて優勝を果たした。決勝は2年前と同一カードとなったが、フィリッポ・インザーギの2ゴールでリヴァプールFCを破り、見事に雪辱を果たした。2007-08シーズンはUEFAスーパーカップとFIFAクラブワールドカップにて優勝を達成。カカはバロンドールやFIFA最優秀選手賞といった個人タイトルを獲得した。しかし、リーグでは低迷しUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した。 2008-09シーズンは、ロナウジーニョら大型補強を敢行し、冬にはデビッド・ベッカムをレンタルで獲得するも無冠に終わり、シーズン終了後にアンチェロッティは監督を辞任した。 2009-10シーズンはレオナルドが監督に就任し、長年チームの顔だったマルディーニが前シーズン限りで引退(マッシモ・アンブロジーニが後任の主将に任命された)、カカがレアル・マドリードへ移籍。下部組織出身のイニャツィオ・アバーテの台頭などがあり、リーグを3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ予備予選の出場権を獲得した。 2010-11シーズンはマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任し、2010年夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチ、ロビーニョらを獲得。2011年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノ、ファン・ボメルらを獲得し、同シーズンは7季振りとなるセリエA優勝を果たす。 2011-12シーズンは優勝したチームにおいて怪我の影響で出場機会が減少気味だったピルロをユヴェントスへ放出し、ステファン・エル・シャーラウィ、アルベルト・アクィラーニ、アントニオ・ノチェリーノ、フィリップ・メクセス、タイエ・タイウォらを獲得した。チームは31節フィオレンティーナ戦で敗れて首位から陥落し、復活したピルロを中心としたユヴェントスに次ぐ2位に終わりシーズン無冠に終わった。 2012-13シーズンは、急激に悪化した財政事情の立て直しとFFP導入にともなう財政対策のため、イブラヒモビッチとチアゴ・シウバをPSGへ放出。また、チームの世代交代のためにジェンナーロ・ガットゥーゾ、アレッサンドロ・ネスタ、クラレンス・セードルフ、ファン・ボメル、フィリッポ・インザーギ、ジャンルカ・ザンブロッタといったベテラン勢を一斉放出した。これにより、アントニオ・カッサーノとの交換トレードで獲得したジャンパオロ・パッツィーニをはじめとし、ケヴィン・コンスタン、ナイジェル・デ・ヨング、フランチェスコ・アチェルビ、クリスティアン・サパタ、リッカルド・モントリーヴォ、バカイェ・トラオレ、エムベイェ・ニアン、ディダク・ビラ、ボージャン・クルキッチらの補強に留まった。序盤戦は選手の入れ替えによる不振が続いたが(11-12シーズンから先発級メンバーがパッツィーニ、エル・シャーラウィ、モントリーヴォ、デ・ヨング、メクセス、サパタ、コンスタンと実に7人が入れ替わる)、コンビネーションが安定してからは前半戦のエル・シャーラウィの活躍、冬の移籍市場で獲得したマリオ・バロテッリの後半戦での活躍もあってリーグを3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ予備予選の出場権を獲得した。
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