2000年代―2ちゃんねるとニコニコ動画の管理人に
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「西村博之」の記事における「2000年代―2ちゃんねるとニコニコ動画の管理人に」の解説
2000年5月、西鉄バスジャック事件が発生したことを受け、テレビ朝日の報道番組『ニュースステーション』のインタビューに答えた。なお、ひろゆきにとってこれが初のメディア出演となる。 2002年までにGoogleは日本で最も検索された単語が「2ちゃんねる」であると公表した。その後、2004年までに「2ちゃんねる」は日本最大のインターネットフォーラムとなった。 2002年9月、2ちゃんねるの関連会社である東京プラス株式会社(東京都北区赤羽北)を設立するとともに代表取締役に就任。 2003年4月、プログラマーの竹中直純らとともに「未来検索ブラジル」を設立し、取締役に就任。 同年6月には、ひろゆきが代表を務める東京プラスがガーラとの間で、ガーラのネット情報クリッピングサービスにおける2ch.netおよびまちBBSの掲載情報の独占利用許諾契約を締結。 2005年11月14日、ニワンゴの取締役管理人に就任。「ニワンゴビデオ」の仮のサービス名として「ニコニコ動画(仮)」を命名した。 2ちゃんねるは、「あめぞう」という掲示板をマネして作ったと先に書いた。ニコニコ動画も、YouTubeにコメントを載せる仕組みを作ったドワンゴの社員がいたので、それに乗っかっただけだ。どちらにも、ゼロからアイデアを生み出す力は必要なかった。ただ、これまでのエンタメの蓄積があったので、「あ、それは面白いかも。こうすればもっと伸びるかも」という提案ができた。ゼロイチの人は、面白いアイデアを考えつく可能性がある反面、アイデアにしがみつく傾向がある。「自分が思いついたんだから、面白いに違いない」と、自信満々なことが多い。だから、僕のように客観的にものが言える人は重宝される。イエスマンになるのではなく、思ったことをちゃんと言うことで、立場を勝ち取ったほうが、あとあとラクだ。 僕が本を出すときもそうだ。「何か書きたいものを書いてください」そう言われてしまうと、何も出てこない。けれど、編集者が「ひろゆきさんのこの部分を伝えたい」とゼロイチの部分を持ってきてくれれば、そのイチに対して持っているものを足していくことができる。 — ひろゆき『1%の努力』(ダイヤモンド社, 2020年) - エピソード6 「明日やれることは今日やるな──『パターン化』の話」より抜粋 2008年7月、ティーケイテクノロジー(札幌市)の取締役に就任。2008年10月、音楽配信サイト「mF247」をに・よん・なな・みゅーじっくと共同で運営していくことが決まった。 2009年1月2日、2ch.netをシンガポールの「PACKET MONSTER INC.」(以下「パケット社」)に譲渡し、管理人からも退いた、と主張したが、実際はドメインの所有権をパケット社に移転したに過ぎず、ひろゆきが取締役を務める東京プラス社および未来検索ブラジル社に2ch.netの収益が還流されていたとみなされている。 同年4月には、米エンターテインメント業界誌「ハリウッド・リポーター」にてアジアのエンターテインメント業界を牽引する20人「ネクスト・ジェネレーション・アジア」の1人に選ばれた。同誌では「日本の典型的エグゼクティブ(管理職)へのアンチテーゼ(反定立)」と評した。また、同年にNAVER JAPAN(現LINE社)のアドバイザリーボードに参加している。
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