アントニオ・ノチェリーノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 07:27 UTC 版)
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イタリア代表でのノチェリーノ (2012年)
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Antonio NOCERINO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1985年4月9日(36歳) | |||||
出身地 | ナポリ | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 23 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997-2003 | ![]() |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2008 | ![]() |
32 | (0) | |||
2003-2004 | →![]() |
34 | (0) | |||
2004-2005 | →![]() |
5 | (0) | |||
2005 | →![]() |
21 | (0) | |||
2005 | →![]() |
15 | (0) | |||
2006 | →![]() |
11 | (1) | |||
2006-2007 | →![]() |
37 | (6) | |||
2008-2011 | ![]() |
106 | (6) | |||
2011-2016 | ![]() |
72 | (12) | |||
2014 | →![]() |
10 | (0) | |||
2014-2015 | →![]() |
5 | (0) | |||
2015-2016 | →![]() |
20 | (3) | |||
2016-2017 | ![]() |
52 | (1) | |||
2018 | ![]() |
6 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2004 | ![]() |
7 | (1) | |||
2004-2005 | ![]() |
16 | (2) | |||
2006-2007 | ![]() |
10 | (3) | |||
2008 | ![]() |
9 | (0) | |||
2007-2012 | ![]() |
15 | (0) | |||
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アントニオ・ノチェリーノ(Antonio Nocerino, 1985年4月9日 - )は、イタリア・ナポリ出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元イタリア代表。
経歴
ジェンナーロ・ガットゥーゾの後継者と呼ばれる。2002年までユヴェントスFCの下部組織で育てられ、その後、FCカタンザーロやFCクロトーネ、FCメッシーナなど様々なクラブを渡り歩いたノチェリーノは、2006-07シーズンにピアチェンツァ・カルチョで37試合6ゴールという成績を残した。この活躍を見たユヴェントスは2007年夏に残りの半分の権利を買い取った。その夏、レンタルでのACFフィオレンティーナ移籍がほぼ決定していたが(コルヴィーノGM曰く「フィオレンティーナでの背番号まで決まっていた」)、クラウディオ・ラニエリ監督の意向で直前に白紙に戻された。そして、2007-2008シーズンはラニエリ監督の期待通り右サイドのMFやボランチのポジションでレギュラーを掴み、セリエAに復帰したユヴェントスで輝きを放った。2008年6月、アマウリ移籍において対価の一部としてノチェリーノの保有権がUSチッタ・ディ・パレルモに移動した。
2011年8月31日、ACミランのジェンナーロ・ガットゥーゾが目の負傷により長期の離脱を強いられることとなったためACミランに駆け込みで移籍[1]。市場が閉鎖する20分前に駆け込みで決まった。移籍金は50万ユーロ。背番号は22。 2011-12シーズン、セリエAにて二桁10得点を記録する活躍をみせる。それまでのプロキャリアでは通算で6得点だったので、ミラン加入1年目で自身の記録を更新したことになる。2012-13シーズンは退団したガットゥーゾの背番号8を継承したが前シーズンのような活躍は見せられなかった。2013-14シーズンから、ACFフィオレンティーナへ移籍したマッシモ・アンブロジーニの付けていた「23」に背番号を変更した。
2014年1月25日、出場機会を求め同胞のマルコ・ボリエッロと共にプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCにレンタル移籍[2]。
2016年2月19日、オーランド・シティSCへ移籍した。
2018年7月6日、セリエBのベネヴェント・カルチョへ移籍した[4]。2018年12月19日、双方合意のもと契約を解除し退団[5]。
2020年1月23日、自身のインスタグラムを通じて現役引退を表明した[6]。
代表歴
イタリア代表として世代別代表に招集され、2007年10月17日には親善試合の南アフリカ戦でA代表デビュー。2008年には北京オリンピックにも出場した。
脚注
- ^ NOCERINO CEDUTO AL MILAN palermocalcio.it 2011年8月31日
- ^ ノチェリーノとボリエッロがウェスト・ハムへ Goal 2014年1月26日
- ^ 降格圏のパルマ、元イタリア代表MFノチェリーノをレンタルで獲得 サッカーキング 2015年1月16日
- ^ “Nocerino signed with Benevento”. Corriere dello Sport.it. 2018年8月17日閲覧。
- ^ “Nocerino saluta il Sannio. Risoluzione consensuale” (イタリア語). Benevento Calcio (2018年12月19日). 2019年11月5日閲覧。
- ^ “ミランやユベントスでプレーした元イタリア代表MFが現役引退「別れを告げる時が来た」” (jp). FOOTBALL CHANNEL (2020年1月24日). 2020年1月27日閲覧。
外部リンク
- FIGC (イタリア語)
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固有名詞の分類
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