高校時代 - 歌手志望へとは? わかりやすく解説

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高校時代 - 歌手志望へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:55 UTC 版)

松田聖子」の記事における「高校時代 - 歌手志望へ」の解説

1977年4月8日カトリック系久留米信愛女学院高等学校入学するジャンパースカートボレロ制服憧れ父親も娘を淑やかなお嬢さん育てたいという方針でこの高校決まったキリスト教研究部入部し聖書勉強勤しむ行事の度に皆の前で聖書を読む「女神」という役職(各学年1人ずつ)に選出される大ファン郷ひろみコンサート福岡行われる度に観に行き歌手憧れるようになる高校入学まもない春、福岡開催テイチク新人歌手オーディション応募し桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を歌うが二次審査落選8月には第二回ホリプロタレントスカウトキャラバン九州大会にも応募する書類選考第一次審査落選。この時一緒に応募した友人一次審査合格したものの大会直前扁桃腺手術をして歌えなくなったため、法子聖子)が急遽フォロー役でコンビ組みピンクレディーの曲で出場した2人最終審査5組残った優勝できなかった。 高校2年となる1978年CBS・ソニー集英社セブンティーン』が主催する『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会に再び桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を録音したテープ送り予選合格歌手なりたいという動機以外の応募理由には、優勝特典が「アメリカ西海岸ディズニーランドご招待」で、「大好きなミッキーマウス会える」という事と、全国大会ゲスト審査員憧れ郷ひろみであったからである。そして4月福岡市民会館行われた九州地区大会出場した。 しかし、両親には内緒応募していたため、コンテスト当日は「大好きな歌手会いに行く」と嘘をつき母親会場まで車で送ってもらった母親法子別れて買い物に行くが、買い物終えて会場入ってみると我が子ステージ上で歌っていて驚いたという。どうせすぐに負けるだろうと思い見ていたが、結果はなんと優勝全国大会へ切符をつかむ事となった。父親バレる絶対に叱られる考え帰宅後は賞品トロフィー物置隠し花束母親結婚式帰り友人貰った事にして誤魔化した。ただ、全国大会までには話しておかなければと、数日後打ち明けたが、公務員厳格な父親は娘の芸能界入り断固反対今まで1度も手を挙げた事がない父親初め法子の顔をぶった。学校でも「規則なので許されない。どうしても出たいなら退学するしかないと言われシスターの前で泣いたという。結局全国大会辞退する事となった。一方決戦大会視察してこれといった逸材発見できなかったCBSソニー企画制作部若松宗雄は、コンテスト事務局問い合わせて各地区の出場者のデモテープ取り寄せたプロフィール写真も無い音声だけの資料100名分ほどチェックしていた時、九州地区大会で優勝した法子歌声衝撃を受け、「この子絶対に売れる」と確信して別件プロデビューさせようスカウトする決意をした。若松法子歌声初め聴いた時のショックを「まるで夏の終わりの嵐が過ぎたあと、どこまでも突き抜けた晴れやかな青空見た時のような衝撃でした」と語っている。 法子芸能界入りは、学校規則父親反対により既に断念されていたが、諦めきれなかった若松久留米実家まで足を運び父親直談判した。しかし、父親信念固くここから半年上の間法子若松父親説得し続ける事になる。若松何度も娘と連絡取り合っている事に見兼ね父親が、自分介さない電話やり取りをやめるよう若松告げたため、事務所女性スタッフ友人振りをして電話掛けてもらったり、法子冬休み東京親戚の家に行くという口実直接会うなど工夫重ねた法子近況報告と「絶対に歌手になる」という強い想い綴った手紙毎月のように若松送り遂には「お父さん認めてくれなければ家を出ます」と宣言した。そんな状況続きこのまま否定し続けるのは娘にとって良くないではないかとの考え至り、「3年が出なければ帰ってくる」という約束でようやく承諾を得る事ができた。そして、1979年1月中頃父親若松呼び出し法子両親の4人での食事の場で「若松さん預けますあなたに預けますから責任持って預かって下さい」と念を押して託した晴れて歌手を目指す事が決まった法子は、福岡にある平尾昌晃音楽学校に週2回通い稽古積んだ当時の様子として平尾は、「歌手になる事を夢見る子は多いが、その先自分成功イメージできている子は珍しい」と感心したという。若松所属事務所探す目的東京音楽学院九州統括福岡校(渡辺プロ系列)の支部長声を掛け法子紹介している。支部長法子気に入り本社その旨伝えていたが、東京渡辺プロ本社送られてきたデモテープをあまり重視せず、「この娘はガニ股でテレビ映り良くない舞台で問題がある」との理由で、スタイルの悪いO脚法子写真見て不採用とした。若松次にプロダクション尾木尾木徹社長に話を持ちかけたが、これも不採用となった

※この「高校時代 - 歌手志望へ」の解説は、「松田聖子」の解説の一部です。
「高校時代 - 歌手志望へ」を含む「松田聖子」の記事については、「松田聖子」の概要を参照ください。

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