高校時代 - デビュー前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 05:42 UTC 版)
「小林よしのり」の記事における「高校時代 - デビュー前」の解説
漫画家になるため受験勉強をしないで済む学校が最適であると判断して、福岡市立福岡商業高等学校(現福岡市立福翔高等学校)に在籍した。珠算・簿記・税務会計の授業がある地元の商売人の子が来る高校だった。併願で進学校にも合格したが、あえて商業高校へ入学した理由は「家から近い」「暇なので漫画が描ける」「学校の3分の2が女」「勉強する奴がいないから、少し勉強すれば優等生」だと言う。商業関係の資格取得が卒業条件であったため、日商簿記検定2級および珠算3級の資格を1年次に取得して、後の高校生活はほぼギターを弾いて遊んで過ごしたとのこと。中学時代は坊主だった髪を伸ばすなど、しばしば生活指導の先生に叱られていた。同級生に甲斐よしひろがいた。 高校卒業後の希望は、上京して石ノ森章太郎の弟子になり漫画家修行をするつもりだった。しかし担任教師に「大学へ行って本を読め」と勧められ、福岡大学人文学部フランス語学科に入学。このときに受験勉強の準備に取り掛かったことが後に『東大一直線』を描くきっかけになったと述べている。フランス語を専攻した動機は、大学へ進学するにしても自分には合わない商学部には進学したくなかったことや、当時ミッシェル・ポルナレフなどのフレンチ・ポップスが流行っていたことから、「フランス語でミッシェル・ポルナレフが歌えたらカッコいいし、女にモテるだろう」というものだった。フランス語学習の影響で、『いろはにほう作』の「ふまんたれぶー」や『茶魔』のカメ達の名前など、フランス語由来の名称・語句が多数出て来る。また、フランスに旅行した際、日本語しか話せない日本人観光客を無視し続ける現地の女性店員にフランス語で話しかけたところ、非常に怪訝な目で見られたことがあるという。 大学時代、左翼活動に若干ながら関わったことがあった。しかし、日々の左翼活動の中で、勧誘活動で人々の反応がいまひとつだったり、宗教活動の勧誘のほうが支持者をより多く集めているなど、当時の左翼活動が人々の支持を失っているという事実を目の当たりにし、違和感を募らせた結果「自分とは違う世界だ」と比較的早く気づき、左翼活動の仲間と袂を分かち、独自の世界を作るべく、その後は「今これをやっておかなきゃ後悔する気がする」と、貧血になる程に読書にのめり込んだり、アルバイトに精を出した。 アルバイト先の喫茶店の常連客で、相撲の話が好きなヤクザの幹部と話を合わせねばならず、相撲のうんちくを本で必死に勉強したこともあった。建設業のバイト先の先輩と車に同乗した際に、併走している車に対し「おい!学生!文句言え!」など無茶な命令をされたり、探し物が見つからなかったことを弁解したら、「どこかにあるから探して来い!」等と怒鳴られたり理不尽な扱いを受けつつも、虚弱体質ゆえに肉体労働に向かず解雇寸前になった時、アルバイト先の先輩達が「いい奴だから雇い続けてくれ。その分は俺たちがカバーする」と雇い主に訴えたなどの逸話があり、その出来事の中で、仲間の優しさに触れたと同時に、自分の小ささを自覚せざるを得なかったと述懐している。 『戦争論2』では女性にもてる大学時代の親友が、小林が漫画家となりヒットした頃に、小林と深夜の時間に長電話して「また会おう」と言って切った後に、自殺したと語っている。
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