高度成長期からオイルショック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 03:16 UTC 版)
「日本のアルミニウム製錬」の記事における「高度成長期からオイルショック」の解説
昭和電工は1962年末と1963年末に千葉県市原町(現・市原市)に第1・第2製錬工場を開設。3回に渡り炉を増設したのち、1969年に、道路を隔てた古河鉱業の所有地を譲り受け、1970年に第3・第4製錬工場の操業を開始した。1974年3月に第5製錬工場の起工式を行ったが、オイルショックの後であり、先行きの見通しから建設は中止された。1969年には昭和電工大分コンビナートの隣接地にアルミナ60万トン・アルミ地金30万トンの一貫工場と火力発電所の建設を計画したが、具体化しないまま1971年2月に断念した。これに代わり、広島県福山市の箕島地区にアルミ地金34万トンの製錬工場と火力発電所を計画したが、第二水俣病の被告企業ということもあり、県から計画が却下され、断念している。 三菱化成工業は1963年5月に直江津工場の通電式を行ったのち、4度の増設を経て1968年10月に全面完成し、16万トンの生産能力を持った。新潟県は、都道府県単位のアルミ生産量では日本軽金属新潟工場とあわせて日本一となり、県の指導でアルミニウム振興協会が設立された。直江津工場は1966年3月に株式会社化成直江津の社名で分離したのち、1969年8月に三菱化成に再統合、三菱軽金属株式会社を設立し、1976年4月にアルミ部門を分離した。三菱軽金属は香川県坂出市に生産能力20万トン、A棟~D棟の4棟からなる工場を建設した。しかし4棟同時に稼働したことはなく、全く稼働しないまま除却した設備もあった。1981年9月に直江津工場を再び株式会社化成直江津の社名で分離、同年10月に会社解散。坂出工場は1983年2月に菱化軽金属工業株式会社を設立して分離したのち1988年3月に解散した。これには、「三菱」の社名が付いたままでは解散させることができないという配慮があった。直江津工場は、現在は三菱化学ハイテクニカ株式会社 上越テクノセンターの名称で、新興企業向けレンタル工場となっている。 三井グループは、三井三池炭鉱から生じる微粉炭の有効活用を図るため火力発電所を建設し、その電力を活用してアルミ製錬に進出する計画を立てた。先発4社の反対の中、1968年1月に三井アルミニウム工業を設立・翌年5月にはアルミナ部門の三井アルミナ製造を設立した(1982年に三井アルミニウム工業と合併)。1970年に、大牟田市の三池港に近い臨海部にアルミナ・製錬一貫の三池工場の操業を開始した。三池工場は1987年3月に製錬を終了し、その後設立された九州三井アルミニウム工業により鋳造事業が行われていたが、2015年10月に三井グループを離れ、KMアルミニウムに社名を変更している。 住友金属工業系列で圧延事業を行っていた住友軽金属工業は、1970年に山形県酒田市の工業団地に製錬・圧延の一貫工場の進出を計画。これに対し住友化学工業は「住友グループは1業種1社の原則があり、製錬は住化、圧延は住軽で分担していたがこれが崩れること。また、住化は愛媛県東予市(現・西条市)に工場の建設を計画しており、設備が過剰となること」から強硬に反対した。調整の結果、住軽40%、住化30%、住友金属鉱業15%、住友銀行・住友信託銀行・住友商事各5%の出資で、1973年1月に住軽アルミニウム工業株式会社を設立。しかし、1977年1月に第1期分の製錬工場が稼働したものの、圧延工場と第2期製錬工場は建設されないまま1982年5月に操業を終了、会社は解散した。製錬用の電力供給を目的として、東北電力と折半出資で酒田共同火力発電が設立されたが、1987年7月より東北電力100%出資となっている。住友化学工業は、1973年3月に富山工場の第3期工事を完成させたが、運転開始を一部繰り延べた。1975年には、住友東予アルミニウム製錬株式会社により世界最大のプリベーグ式電解炉を採用した東予工場の操業を開始したが、大部分の設備が操業できずにいた。1976年7月に、住友化学のアルミニウム製錬部門を分離して住友アルミニウム製錬株式会社を設立。住友東予アルミニウム製錬とあわせた生産能力は41万4千トンで日本国内最大、世界でも7位の規模を誇った。1979年3月には名古屋工場の全設備と富山工場の一部設備を休止。1981年には住友アルミニウム製錬と住友東予アルミニウム製錬を統合。1982年3月には磯浦工場、1984年12月には東予工場の操業を停止。1986年7月には日本国内でのアルミ製錬からの撤退を決断し、同年10月に富山工場の操業を停止して12月に会社を解散した。 1972年に、福井県三国町で、古河電工とアルミニウム圧延部門を持つ神戸製鋼所の2社が製錬工場の進出を計画。競願状態となったが、神鋼は翌年に進出を断念している。
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