高度成長期における叢生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/16 03:36 UTC 版)
1960年代に入ると、当時の高度経済成長による工業化の拡大と国土の乱開発によって自然・生活環境がひどく脅かされるようになるとともに、また、薬品や食品添加物による健康障害も顕在化するにいたった。こうした公害に対して、地域の住民が連帯して抗議するようになり、とりわけ反公害運動や大規模な地域開発を伴う幹線道路、空港港湾、火力・原子力発電所、鉄鋼・石油化学コンビナート開発に対する住民運動が広く見られるようになった。 これらの住民運動は、加害企業に対して正当な補償を求める交渉や裁判などを行い、さらには、政府や地方自治体に対して、被害者救済や公害の事前防止措置を求める行動も起こしたことから、行政や企業などが住民の財産や権利をより尊重する政策転換を行う契機となった。 当時の住民運動は、労働運動の延長線上において捉えられることも多かった。すなわち、労働力再生産の「社会化」の運動として扱われ、生活や消費の場面でも社会変革が暫時的に進行しつつあることの現われとしても捉えられたが、当時の運動の多くは、政党や労働組合などの既成組織の主導によるのではなく、地域住民の主体的な意思によって形成されたものであった。
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