韓国への「永住帰国」
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1980年3月、日本から冷蔵庫、テレビ、オートバイ、電気炊飯器、ミシンなどの大量のおみやげを前もって「姉」一家に送ったうえで韓国を再訪、このたびは長期潜伏となった。姉の家には長逗留はせず、住民登録を行った。当時、全州支庁の平和洞事務所の事務長をしていたのが姉の長男であった。彼の推薦で、すんなりと「申順女」名義での住民登録に成功して彼女へのなりすましが完成した。「永住帰国」がかなった後は、すぐに以前購入していたソウル市銅雀区の家に転居し、名義を自身のものに変更、本籍地も全羅北道から新住所に変更した。1年間は表立った活動はせず、1981年11月にソウルの永洞教会に顔を出し、教会の執事に取り入って養女がほしいと相談を持ちかけた。しばらくして保険の外交をしていた53歳の女性を紹介され、彼女を養女とした。いざというときの安全策である。一方で彼女は、姉の子や養女の名義で不動産を購入しては転売するやり方で蓄財し、さらに養女の知り合いに高利で貸し付けるなどして工作資金を増やしていった。この間、李善実は、1979年に朝鮮労働党統一戦線部副部長に任命され、1980年10月、第6次党大会で政治局候補委員、中央委員に選出、1981年11月には国旗勲章第一級を授与されている。 ソウルにアジトを設けた李善実は、「韓国内に地下組織を結成し、韓国を混乱させる破壊活動を展開すること」を工作目標に1990年まで活動を展開した。北朝鮮から派遣された工作員(「任」「崔」「李」、李フンベ)4名は韓国人金洛中をコントロールし、もう1つの4人組(権重ヒョン、金東植、李トンジン、氏名不詳の女性)は韓国人孫炳善、黄仁五をオルグし、統制下に置いたので、10人前後の部下を率いての工作活動である。北朝鮮から派遣される工作員との協議は警備の厳しい韓国ではなく、日本で行った。養女には「神戸の弟に会いに行く」「胃炎の薬を買いに行く」などの口実を設けて計4回、訪日した。彼女は、与えられた工作資金のほかに自らも稼いだ豊富な資金を用い、10年かけて地下党を組織した。また、1989年からは「済州出身の李仙花」と「完州出身の申順女」という2つの名前を使い分けるようになった。 1980年4月のサボク炭坑騒擾事件の主導者であった黄仁五は、懲役刑に処せられたが、彼には2人の弟がおり、ともにソウル大学在学中に過激な活動で逮捕された経歴を持っていた。李善実は、黄仁五たちの母親である全在順が民主化実践家族運動協議会(民家協)に関係していることをつかんで、この団体に近づき、自分が日帝時代に朝鮮独立運動に参加し、1948年の済州島四・三事件の犠牲者の親族であり、わが子は1968年の統一革命党事件に関わって行方知れずになったと「自己紹介」し、その上で、今まで食堂を個人経営して貯めた金銭を韓国民主化運動のために寄付したいと申し出て、民家協の推薦する革新政党、民衆党に高額な大型複写機や多額の現金を寄付した。民衆党幹部から有志李仙花(イ・ソンファ)として大々的に紹介された李善実は、民家協や民衆党シンパとして公然と会合に参加した。そして、ごく自然に全学順に近づき、息子の後ろ盾になりたいと申し出た。本人が同意するなら養子にしてもよい、死後は全財産譲ってもよいとまで言われた全学順は息子の連絡先を教え、自らも直接電話をかけて「李ハルモニ」に一度会ってみるよう勧めた。 李善実はこうして李仙花として黄仁五と会い、会わせたい人がいるとして配下の権重ヒョンを紹介した。権は大胆にも自身が北からの工作員であることを明かして黄仁五を説得、北側の工作員とすることに成功した。黄は、北朝鮮の若い工作員たちからソウルの児童公園や漢江の河川敷でスパイ訓練を受け、朝鮮労働党に入党した。1990年9月、黄仁五は権重ヒョンに北朝鮮行きを命じられ、10月には江華島から工作船で入北することとなった。江華島で待っていたのは李仙花(李善実)とその部下の金東植であった。当時20代だった金東植は、1990年の半年間、75歳の李善実と「祖母と孫」を装って同居していた。1990年10月17日、李成実は金東植に背負われて秘密裡に韓国を脱出、半潜水艇で北朝鮮に帰還した。越北した黄仁五には、朝鮮労働党中部地域党創設の工作任務が付与された。 その間、李善実は1982年2月、最高人民会議第7期代議員に当選(以来、10期まで継続して選出)、同年4月には金日成の70歳の誕生日に合わせて、金日成勲章と金日成の名が刻み込まれた金時計を授与され、9月、祖国解放記念勲章が授与された。1985年8月、国旗勲章1級と祖国解放記念メダルが授与され、1986年12月には努力勲章が授与された。1990年5月には最高の栄誉である「朝鮮民主主義人民共和国英雄」が与えられている。
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