韓国への帰国、逝去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:42 UTC 版)
韓国で朴正煕が実権を握ってから李王家の人物の韓国帰還運動に手を差し伸べたため、徳恵は李垠に先立つ1962年(昭和37年)1月26日に韓国へ帰国し、ソウル大学医学部付属病院に入院した。この時に日韓両国の協力を得て韓国国籍を取得している。 純宗の妃尹氏の没後、異母兄李垠の妃だった李方子とともに昌徳宮内の楽善斎に住んでいたが、1984年(昭和59年)時点で長らく病に伏していたという。1989年(平成元年)4月21日、同所にて看護師2名に看取られて逝去した。その9日後に、義姉方子も逝去している。 なお、徳恵が韓国に帰国する際に手放した、徳恵と正恵の着用していた韓服や化粧台・裁縫箱などの徳恵の愛用品は、日本の文化学園服飾博物館に収蔵・展示されていた。2015年6月に日韓の文化的友好協力の増進を希望する大沼淳文化学園理事長兼服飾博物館長により徳恵の韓服のうち7点が韓国文化財庁に寄贈された。
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