銚子電気鉄道譲渡後とは? わかりやすく解説

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銚子電気鉄道譲渡後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 01:49 UTC 版)

上田丸子電鉄モハ2320形電車」の記事における「銚子電気鉄道譲渡後」の解説

銚子電気鉄道譲渡されモハ2321は、同社デハ500形501として1972年昭和47年8月21日認可によって導入された。導入に際して西武所沢車両工場において貫通路側の運転台復活整備し両運転台構造化されたが、改造費用低減観点から妻面貫通扉そのまま存置された。デハ501同年7月21日西武所沢車両工場より銚子電気鉄道側に引き渡されたが、翌日7月22日日本国有鉄道国鉄佐倉機関区銚子支区に設置され転車台利用し方向転換実施され入線初日銚子側妻面が貫通構造であったが、方向転換により貫通構造妻面外川向きとなるよう改められた。塗色これまでの銚子電鉄標準となっていた京成青電色とは異なりアイボリーに窓回り雨樋朱色という塗色であったが他車に波及することなくその後デハ201塗られ西武赤電色に類似したベージュローズピンク1990年までの銚子電鉄新たな標準となった同車銚子電気鉄道初の間接制御車かつパンタグラフ集電方式採用する車両あり、か車内照明蛍光灯用いるなど、当時銚子電気鉄道在籍する車両中最も近代的な装備有した。しかし、12m級車体銚子電気鉄道においても小型に過ぎ、また主電動機4基搭載仕様であったことから収容力に対して消費電力量過大であることなどを理由終始予備車として扱われ晩年長期間休車となったのち1999年平成11年3月31日付で除籍された。 廃車後車体銚子寄り一部切断したカットボディ犬吠駅駅前広場設置され相模鉄道より購入したモニ2000形2022とともに電車レストランとして再利用された。後年電車レストラン運営するNPO団体事務室として用いられたが、同所は海に程近い場所に位置することから塩害による傷み進行し2012年平成24年7月解体処分され現存しない。

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銚子電気鉄道譲渡後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/29 23:29 UTC 版)

近江鉄道モハ51形電車」の記事における「銚子電気鉄道譲渡後」の解説

銚子電気鉄道では、老朽化したデハ201ハフ1形二軸客車淘汰目的で、1978年昭和53年1月24日付でモハ5152譲受デハ700形として導入した導入に際して西武所沢車両工場において各種改造実施され同年3月デハ701(元モハ51)が、同年8月デハ702(元モハ52)がそれぞれ竣功した。2両とも旧連結面側の妻面運転台設置して再び両運転台構造となったが、外川向き妻面相当する増設運転台側は窓枠をHゴム固定支持とした3枚窓・非貫通構造とされ、近江鉄道における妻面改造片運転台以前とは逆に妻面中央部の窓が広幅となった営業運転開始後銚子電気鉄道における主力車両となり、デハ1000形(元営団2000形電車入線までは唯一総括制御可能な形式であったことから、ラッシュ時2両編成にも充当された。デハ1000形導入後実施され1994年平成6年12月ワンマン運転方式導入に伴いデハ701ワンマン運転応化改造実施され一方デハ702改造対象から外れたため、デハ701単行運用にも用いられたが、デハ702は多客時の増結用車両となり、以降運用頻度低下したデハ7011994年平成6年)にテレビ番組おまかせ!山田商会』の企画塗色黄色一色にイラスト配したものに変更されていたが、翌1995年平成7年6月24日笠上黒生駅付近発生した衝突事故によって車体破損復旧に際して尾灯引掛式(いわゆる「ガイコツテール」)から埋込式に変更されたほか、車体塗装原形戻された。デハ701はこの事故の影響台枠歪み生じたものの、廃車となることなく継続して運用された。またデハ7022007年平成19年11月全般検査に際して車体塗色1960年代銚子電気鉄道における標準塗装であった水色空色の2色塗り変更された。 デハ700形デハ800形801とともに国土交通省関東運輸局による是正勧告対象車両となり、2000形(元伊予鉄道800系電車)の導入に際して廃車とする方針決定したデハ702については2009年平成21年8月24日から同月28日までの間、モバイルオークション「au one モバオク」に出品され売却先を募集した。 後にデハ701702ともに一般運用からは離脱し団体貸切もしくは臨時列車運用専従したのち、デハ7022010年平成22年1月23日さよなら運転実施して営業運転終えたまた、同年3月下旬行われる予定であったデハ701さよなら運転は、諸般の事情により約半年遅れの同年9月23日実際され、営業運転終了した。 両車とも御宿町養鶏業者「養鶏場」に売却されいすみ市鉄道保存施設ポッポの丘」に保存された。

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