銚子無線局長、船橋無線電信局時代とは? わかりやすく解説

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銚子無線局長、船橋無線電信局時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 17:09 UTC 版)

米村嘉一郎」の記事における「銚子無線局長、船橋無線電信局時代」の解説

銚子無線電信局は日本最初無線電信局として1908年明治41年5月16日開設されたが、設備能力とも増強され1915年大正4年)には主にアメリカ航路または付近海上航行する内外船舶通信し一ヶ月800通あまりの内外無線電報取り扱い1日5隻の船舶交信をする重要な無線局になっていた。1910年明治43年7月9日には逓信大臣後藤新平視察しその後1911年明治44年5月20日には大正天皇当時皇太子)が訪問した1913年大正2年4月、嘉一郎3代目銚子無線局長となる。この時期無線電信概説書として、局の小松三郎協力得て通俗無線電信』を1915年大正4年4月電友社から刊行している。国立図書館蔵書があり、目次下記の通り。 1)発明 2)原理 3)装置 4)逓信省無線電信 5)帝国無線電信局 6)銚子無線電信局 7)無線電信利用 8)各国無線電信局数 9)世界無線電信方式 10欧米の大無線電信11内国無線電報 12外国無線電報 無線局では当時無線通信士には英語力必須として毎日午前9時から1時間、英語読書会おこなった1913年大正2年6月から1916年大正5年2月までの約2年半の対象として8冊の書籍挙げられている。 1914年、アメリカ・マルコーニ社(RCA前身)から、サンフランシスコハワイ設置した強力な無線電信局より日本無線連絡延長したいという申し出なされる当時海軍建設中無線電信船橋送信所逓信省使用してハワイとの無線連絡試験1915年7月からの1年間に4回実施した。この試験に嘉一郎参加している。試験により昼夜ともに通信できる見通し立ったことから、1916年9月逓信省船橋無線電信局が併設され、嘉一郎業務開始準備を他の3人の通信書記とともに担当11月16日一般電報取り扱い開始した

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