裁判所・議会・国王の折衝に奔走とは? わかりやすく解説

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裁判所・議会・国王の折衝に奔走

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 04:38 UTC 版)

フランシス・ベーコン (哲学者)」の記事における「裁判所・議会・国王の折衝に奔走」の解説

法務次官法務長官在任中は司法界で政敵コーク裁判所管轄争い国王大権裁判所権限巡って対立し続けたきっかけ1606年民事高等裁判所首席裁判官英語版)へ転身してからのコーク姿勢変化にあり、コモン・ロー擁護しそれを扱う裁判所民事高等裁判所英語版)、王座裁判所英語版)、財務府裁判所英語版))の権限拡大他の裁判所や王権との対立引き起こしたのである背景には北部評議会英語版)などの裁判所新設大法官裁判所英語版)などのエクイティ衡平法)の裁判所権限拡大、これらを通じて国王大権伸長しコモン・ロー裁判所との争い生じた事情があった。しかし国王ジェームズ1世とその側近になっていたベーコンからすればコークの方がコモン・ローを盾に取った越権行為をしていることになり、コークベーコンおよびジェームズ1世との対立避けられなくなったコークこうした動き対しベーコンがその対処に当たり、1608年コモン・ロー裁判所ウェールズ裁判所管轄争い起こすと、自分達の権利声高に主張するコモン・ロー裁判所非難ベーコン影響受けたジェームズ1世1610年に各裁判所それぞれの管轄保持することと自重呼びかけ事態の収拾図った。また政界でも国王助言者として国王大権議会均衡を保つべく奔走財政再建策としてソールズベリー伯1610年提案した大契約が元で、国王課税巡って起こった論争差し止めたジェームズ1世擁護大契約反対した。一方で1612年ジェームズ1世向けて議会財政支え国民と王を結び付けている議会存在意義強調して配慮呼びかけている。 同年大契約成立失敗し財政再建出来なかったソールズベリー伯死亡ベーコンは彼が所持していたポスト狙い国王自薦したが実現しなかった。一方議会対策として次の議会召集進言、そこで国王議会関係修復図りジェームズ1世議会との協調呼びかけ議会1614年4月召集されながら、親スペイン・カトリック派のノーサンプトン伯爵ヘンリー・ハワードハワード家と、反スペイン・プロテスタント派のペンブルック伯ウィリアム・ハーバートカンタベリー大主教ジョージ・アボット(英語版)らの派閥抗争原因でわずか2ヶ月後6月解散7年後1621年まで召集されなかったため、司法界で再びコークとの対立発生することになった1613年王座裁判所首席裁判官英語版)トマス・フレミング(英語版)の死亡コーク民事高等裁判所から王座裁判所異動となったが、何とかコーク翻意させようと彼とジェームズ1世との接近計画加えて実入り良くない王座裁判所への異動懲罰対外的印象付けることも図ったベーコンジェームズ1世進言した結果だった。なお、コーク異動玉突き人事が行われ、民事高等裁判所首席裁判官にはコーク後任法務長官ヘンリー・ホバート(英語版)が、法務長官にはベーコン就任した。 しかし、王座裁判所首席裁判官になってコーク態度変えずジェームズ1世ベーコンとの対立継続していった。サマセットロバート・カー殺人事件裁判ではコークベーコン協力したが、裁判官国王擁護者考えベーコン国王人民の間の調停者考えコーク思想は相容れず、ジェームズ1世裁判官への干渉対す抗議重なり大法官ベーコン連携したエジャートンとも対立深めていった。裁判所管轄争い国王大権裁判所対立問題拡大1616年ジェームズ1世によりコーク王座裁判所首席裁判官罷免された。罷免際しベーコンコーク徹底的に非難し国王大権や各裁判所衝突した事例持ち出してコークへの個人攻撃にまでおよび、かつてのエセックス伯彷彿とさせる民衆の支持背景にした政治手法厳しく批判している。 コーク司法界から排除した後は出世重ね上述通り1616年枢密顧問官1617年国璽尚書1618年大法官となり、ヴェルラム男爵叙任貴族に列せられ、1621年セント・オールバンズ子爵昇叙された。出世に伴い多忙極め大法官府の残務処理や裁判ウォルター・ローリー1618年)やサフォーク伯トマス・ハワード1619年)など政治犯断罪治安判事巡回裁判判事通した地方統制各分野精通した委員会設立提案現代における省庁相当する)など司法界と政界にまたがる多彩な活動展開していった。この出世には1615年から交際していたジェームズ1世寵臣バッキンガム侯(後に公爵ジョージ・ヴィリアーズ後ろ盾依る所が大きかったバッキンガム侯への助言という形で1618年イングランド政治・社会全般広範囲分析解説した書簡執筆した1616年にも書いた書簡大幅に増補したこの文書バッキンガム侯に宮廷腐敗一掃国王枢密院中心政治を行うこと、枢密顧問官登用公平な人事を行うことを勧めた内容多岐に渡り宗教・法律・議会枢密院外交戦争・経済植民宮廷それぞれの詳しい特徴問題点解決策挙げてバッキンガム侯を国政運営にふさわしい政治家に養成しようとした。しかしバッキンガム侯はベーコン政治マニュアルとも言うべき書簡の内容上手く呑み込めず派閥形成走り身内贔屓役職バッキンガム派に独占され事態となり、それに不満を抱いた有力者議会バッキンガム侯ら政府対立ベーコン目論見失敗した。そしてバッキンガム派に属すベーコン議会政府対立巻き込まれていった1620年一時期だがトマス・ホッブズベーコン秘書務めたことがある

※この「裁判所・議会・国王の折衝に奔走」の解説は、「フランシス・ベーコン (哲学者)」の解説の一部です。
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