戦争経済
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「ナチス・ドイツの軍事」の記事における「戦争経済」の解説
「ナチス・ドイツの経済#戦時経済」も参照 経済面では四カ年計画が延長され、引き続き四カ年計画庁が指導を行ったが、膨大な占領地を獲得したにもかかわらず非効率な成果しか上げることができなかった。1940年3月には軍需省が設置されたが、それでも1942年までの軍需生産額はほぼ横ばいと、効率的な戦時経済体制は確立されなかった。 しかし、1942年2月にアルベルト・シュペーアが軍需大臣に就任して以降は、ゲーリングが影響力を失ったこともあり、軍需省が戦時経済の全権を握ることとなった。シュペーアは個人的なヒトラーの信任を利用して、軍需機関の運用に大きな成果を上げ、1944年秋をピークとする軍事生産力の拡大を実現した(装甲の奇跡(ドイツ語版))。しかしシュペーアも専門的な知識を持っていたわけではなく、時にはヒトラーに誤った情報を伝えたり、誤った決定を下すこともあった。 しかし軍において人員が必要となると、軍需生産に当たる人員が枯渇していった。ドイツはこれを占領地域の外国人や捕虜で代替し、多数の人々が強制労働に従事させられた。1940年4月まででその数は29万6500人におよび、1943年にフリッツ・ザウケルが労働力配置総監に任じられて以降はより苛烈となり、1944年5月には強制労働に従事していた外国人は750万人に達し、国防軍を除くドイツ総労働力数の五分の一を占めるまでになった。一方で他の国々では盛んに行われた婦人の工場労働は、女性は家庭にいるべきであるというナチズムの見解によってほとんど拡大されなかった。 各国軍需生産の推移(1944年=100)1939年1940年1941年1942年1943年1944年ドイツ20 35 35 51 80 100 日本10 16 32 49 72 100 アメリカ2 5 11 47 91 100 イギリス10 34 59 83 100 100 ソ連20 30 53 71 87 100 ドイツ工業純生産に占める各産業分野の比率(%)産業分野1938年1939年1940年1941年1942年1943年1944年原料21 21 22 25 25 24 21 兵器7 9 16 16 22 31 40 建物25 23 15 13 9 6 6 その他の投資財16 18 18 18 19 16 11 消費財31 29 29 28 25 23 22
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