1942年 - 1943年
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「T-34」の記事における「1942年 - 1943年」の解説
1942年型以降では「ナット」と呼ばれる六角形状の新型砲塔が使用された。この砲塔は試作戦車T-34Mの砲塔を元に設計され、鋳造製の外周部と圧延鋼板からなる天板を組み合わせた構造をしていた。また、「ナット」に似た形状であるものの、外周部と上面との間に継ぎ目なく、一体に成型された「フォルモチカ」と呼ばれる砲塔がウラルマシ(国営第9ウラル重機械工具製造所、UZTM)で生産されていた。 「フォルモチカ」砲塔に関しては、昔からの鋳造一体成型説とプレス機での熱間鍛造説があった。後者は1994年にスティーヴン・ザロガの著書により発表された。当初は 5000トンフォージングプレス機を用いたとされたが、側面で52 mm もある装甲の成型は不可能と指摘され、ザロガも翌年、1万トンプレス機であると訂正した。しかし、当時ソ連に存在しない 2万トンプレスでないと不可能とする異論、また現代のプレス業者から見ても不合理な工程であるとの意見もあり、未だ真相はハッキリしていない。一説では52 mm厚というのは鋳造製ナット型砲塔での数値であり、実際にはより薄い25~30 mm程度の鋼板をプレスしたもので、ウラジオストックで記念碑として展示されている砲塔 のように、薄い装甲が主砲発射の反動に耐えられず、次第に下端部に特徴的なたわみが発生するのではないか、と言われている。一方、他所でもこの砲塔にキューポラ付きのT-34 が展示されているが、こちらには下端部のたわみ具合が小さい。 T-34 1942年型 それまでの背の低い、避弾経始には優れるものの狭すぎた「ピロシキ」型砲塔に代わり、背が高く砲耳部が別体となった「ナット」砲塔を搭載するタイプである。砲塔上面の大きな1枚ハッチは2枚の小さな丸ハッチに改められ、それを開けた姿からドイツ軍には"ミッキーマウス"砲塔と通称された。1942年中にフィンランドやドイツ軍側の夏季攻勢であるブラウ作戦時から姿を現している。なお、「ナット」砲塔搭載型を(下記の1943年型と合わせて)1943年型とする分類法もあり、現在でもこの呼称を採用している資料も多いので、混同に留意する必要がある。 T-34 1943年型 それまでのT-34の車長視界の悪さを改めるため、「ナット」砲塔に上面左側にキューポラを装着したタイプ。
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