1942年1943年とは? わかりやすく解説

1942年 - 1943年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:39 UTC 版)

T-34」の記事における「1942年 - 1943年」の解説

1942年以降では「ナット」と呼ばれる六角形状の新型砲塔使用された。この砲塔試作戦車T-34Mの砲塔元に設計され鋳造製の外周部と圧延鋼板からなる天板組み合わせた構造をしていた。また、ナット」に似た形状であるものの、外周部と上面との間に継ぎ目なく、一体に成型された「フォルモチカ」と呼ばれる砲塔がウラルマシ(国営第9ウラル重機工具製造所、UZTM)で生産されていた。 「フォルモチカ」砲塔に関しては、昔からの鋳造一体成型説とプレス機での熱間鍛造説があった。後者1994年にスティーヴン・ザロガの著書により発表された。当初5000トンフォージングプレス機を用いたとされたが、側面52 mm もある装甲成型不可能と指摘され、ザロガも翌年1万トンプレス機であると訂正した。しかし、当時ソ連存在しない 2トンプレスでないと不可能とする異論、また現代プレス業者から見て不合理な工程であるとの意見もあり、未だ真相ハッキリていない一説では52 mm厚というのは鋳造ナット砲塔での数値であり、実際にはより薄い2530 mm程度鋼板プレスしたもので、ウラジオストック記念碑として展示されている砲塔 のように、薄い装甲主砲発射反動に耐えられず、次第下端部に特徴的なたわみが発生するではないかと言われている。一方他所でもこの砲塔キューポラ付きT-34展示されているが、こちらには下端部のたわみ具合小さい。 T-34 1942年型 それまでの背の低い、避弾経始には優れるものの狭すぎた「ピロシキ」型砲塔代わり、背が高く耳部別体となったナット砲塔搭載するタイプである。砲塔上面大きな1枚ハッチ2枚小さなハッチ改められ、それを開けた姿からドイツ軍には"ミッキーマウス"砲塔通称された。1942年中にフィンランドドイツ軍側の夏季攻勢であるブラウ作戦時から姿を現している。なお、「ナット砲塔搭載型を(下記1943年型と合わせて1943年型とする分類法もあり、現在でもこの呼称採用している資料も多いので、混同留意する必要があるT-34 1943年型 それまでT-34車長視界悪さ改めるため、「ナット砲塔上面左側キューポラ装着したタイプ

※この「1942年 - 1943年」の解説は、「T-34」の解説の一部です。
「1942年 - 1943年」を含む「T-34」の記事については、「T-34」の概要を参照ください。

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