著名な捕虜とは? わかりやすく解説

著名な捕虜


著名な捕虜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 05:12 UTC 版)

スタラグ・ルフト III」の記事における「著名な捕虜」の解説

スタラグ・ルフト IIIには著名な軍人達が収容されていた。ニュージーランド空軍(RNZAF)のフィル・ラマソン少佐は、当初ブッヘンヴァルト強制収容所でも収容されていた168名の連合国軍航空兵員の先任士官であったスタラグ・ルフト IIIで7カ月以上を過ごしたチャールズ・サンドマン ジュニアは、入所時に190 lbp あった体重出所時には125 lbp になっていた。サンドマンは、日記厳しい冬と米赤十字社から送られてきた食料確保苦労したことを記している。 北アフリカで米第319爆撃隊の指揮官だったデイビッド・ジョーンズは、2年半の間スタラグ・ルフト III収容されていた。ジョーンズ伝記によると彼は「ハリートンネル掘削の期間これを指揮していた。1942年初めにジョーンズは、1941年12月真珠湾攻撃その後アメリカ本土砲撃報復として実施されドーリットル空襲参加していた。航空殊勲十字章受賞したUSAAFのローバート・ポリッチ シニアは、後に2008年のミネソタ・グレーテスト・ジェネレーション(the Minnesota's Greatest Generation)の短編映画祭参加した短編映画『レッド・リーダー・オン・ファイア』(Red Leader on Fire)に採り上げられた。 「ヘラジカ・ミラー」("Moose Miller")と綽名されるカナダ人のゴードン・ミラー(Gordon Miller大尉は、ドイツ軍銃口下で1日掘削分の土を隠した跳び箱躓きもせず毎日出し入れするのを手伝ったミラー破損したビッカース ウェリントン機を飛行中修理し搭乗員無事にパラシュート脱出させた功で航空殊勲十字章受賞したカナダ空軍のジョージ・ハーシュ(George Harsh大尉は、大脱走実行委員会一員収容所の「保安将校」("security officer")であり、脱走の少し前にスタラグ VIII-Cに移送され19名の「容疑者」の中の一人であった1910年ジョージア州裕福著名な一家生まれたハーシュは、医学生時代1929年行商人快楽殺人したことを告白して終身刑宣告された。彼は緊急の虫垂切除術行って囚人仲間の命を救ったことにより、ジョージア州知事のユージン・タルマッジは1940年11月ハーシュ仮釈放認め最後には完全に赦免された。その後ハーシュ尾部銃手としてカナダ空軍入隊し1942年撃墜され後でスタラグ・ルフト III送られた。1971年に彼は自伝出版し、これはドイツ語ロシア語翻訳された。 スタラグ・ルフト III収容者中には芸能界著名な経歴辿った者もいた。英国俳優ルパート・デービスは収容所内の劇場上演された作品多くの役を演じた。彼が演じた最も有名な役はBBC1960年から1963年にかけて52話放映されメグレ警部シリーズの『メグレ』と映画『寒い国からきたスパイ』でのジョージ・スマイリー(George Smiley)役であろう俳優のピーター・バターワースと作家のタルボット・ロズウェルは収容されスタラグ・ルフト III友人となり、後に映画キャリー・オン』で共に仕事をした。英領ガイアナ生まれ歌手のサイ・グラントは英空軍大尉2年間の捕虜生活送ったが、その中にはスタラグ・ルフト III収容されていた期間が含まれていた。戦後グラント法廷弁護士資格取得したが、歌手俳優作家になったグラント英国テレビで初の黒人常連出演者となり、BBC番組トゥナイト』で南国カリプソ歌っていた。米国最初著名な天気予報士となったウァリー・キーナンもこの収容所にいた。 スタラグ・ルフト IIIには政治世界で頭角現し捕虜もいた。3年以上捕虜だったジャスティン・オバーンは、34歳タスマニア州選出オーストラリア元老院議員となり、元老院議長務めた作家政治学教えるバージル・チャブ博士ドイツ上空撃墜されてから15カ月をこの収容所過ごしたウェールズ保守党議員エドワード・ヒース政権閣僚務め政治家の経歴経た後にトーマスとなったピーター・トーマスは、スタラグ・ルフト III含め4年間の捕虜生活送った歴史記録という点で重要なことは、オーストラリア人ジャーナリストポール・ブリックヒル1943年から開放されるまでの間スタラグ・ルフト III収容されていたことであった1950年にブリックヒルは初め『大脱走』に関する包括的なものを書き、これは後に有名な映画となった続いて映画『殴り込み戦闘機隊』原題Reach for the Sky)で描かれたダグラス・ベーダーの伝記や第617「ダムバスター」飛行隊活躍に関する本を著した。エーデル・ダムの爆撃成功させた「ダムバスター」の一員であった英空軍のレイ・グレイソン(Ray Grayston)大尉1943年から1945年までスタラグ・ルフト III収容されていた。

※この「著名な捕虜」の解説は、「スタラグ・ルフト III」の解説の一部です。
「著名な捕虜」を含む「スタラグ・ルフト III」の記事については、「スタラグ・ルフト III」の概要を参照ください。

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