義仲との戦いとは? わかりやすく解説

義仲との戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:52 UTC 版)

源頼朝」の記事における「義仲との戦い」の解説

寿永2年1183年)春、以仁王の令旨受けて挙兵していた源義仲が、頼朝対立する叔父義広・行家を庇護したことにより、頼朝義仲武力衝突寸前となる。両者話し合い義仲嫡子・義高を頼朝長女大姫の婿とする形で実質的な人質として鎌倉に送ることで和議成立した義仲平氏との戦い勝利を続け7月平氏一門を都から追い落とした朝廷では平家追討恩賞に対して議論が行われて戦功第一頼朝、次は義仲、その次は行家という結論出たものの、未だに上洛ていない頼朝京官への任命について上洛後任じれば良いとする藤原経宗と、直ち任命すべきであるとする九条兼実藤原長方との意見対立があってまとまらず(『玉葉寿永2年7月30日条)、8月10日義仲従五位下左馬頭越後守、行家は従五位下備後守任じられたものの、頼朝については10月9日平治の乱止められ従五位下位階復されたのみであった大軍率いて入京した義仲後白河法皇から平氏追討の命を得るが、寄せ集めである義仲軍勢統制取れておらず、飢饉苦しむ都の食糧事情悪化させ、また皇位継承介入したことにより院や廷臣たちの反感を買った朝廷京の人々頼朝の上洛を望み後白河法皇義仲西国平氏追討に向かわせ、代わって頼朝上洛要請する10月7日頼朝藤原秀衡佐竹隆義鎌倉攻められる恐れがあること、数万騎を率い入洛すれば京がもたないことの二点を理由に、使者返して要請断った前述通り10月9日朝廷平治の乱止めた頼朝位階復すると、14日には東海道東山道所領を元の本所戻してその地域年貢官物頼朝進上し命令従わぬ者の沙汰頼朝が行うという内容宣旨下した寿永二年十月宣旨)。頼朝は既に実力制圧していた地域所領収公御家人賞与罰則行っていたが、それは朝廷からみれば非公式なものであった寿永二年十月宣旨により、当初反乱軍」と見なされていた頼朝率い鎌倉政権朝廷から公式に認められる勢力となった。 閏10月15日頼朝の上洛を恐れ義仲は、平氏追討戦い敗れると京に戻り寿永二年十月宣旨に猛抗議して頼朝追討院宣を望むが許されなかった。11月には頼朝送った源義経率い500600騎の軍勢後白河法皇貢ぎ物捧げるための使者として近江国へと至る。平氏義経挟まれ義仲は、法住寺合戦後白河法皇拘束して頼朝追討宣旨を引きだす。12月には頼朝命令で、東国自立主張して上洛反対する上総広常梶原景時誅殺され、源範頼義仲追討のための軍勢率いて鎌倉を発つ。寿永3年1184年1月義仲征東大将軍に任ぜられるが、20日に範頼と義経数万騎を率いて京に向かい義仲宇治川の戦い敗れ粟津の戦い討たれた。 頼朝鎌倉に在った義高の処刑考えたが、これを大姫が義高に伝えたため、4月21日に義高は女房扮して鎌倉逃れた頼朝堀親家命じて追手差し向け24日武蔵国入間川原で義高を討った。これに憤った政子要求頼朝は義高を討った親家家人梟首する。ほぼ同時期に甲斐源氏一条忠頼鎌倉において、頼朝命令天野遠景殺害されている。またこの時期までに元々は頼朝同格武家棟梁だった甲斐源氏の一族それぞれ家人化させることに成功している。 その頃朝廷では頼朝義仲討ったことで先に保留されたままになっていた頼朝への恩賞問題再審議され平将門の乱における藤原秀郷先例倣って正四位下越階させるとともに同じく藤原忠文先例倣って征夷将軍」に任じるべきだとの意見上ったが、将軍任命するには節刀授けるなどの儀式将軍の下に付け軍監軍曹任命する除目が必要であるとの意見出された。そこで、頼朝本人意見聞くために(粟津の戦い翌日である)寿永3年1月21日鎌倉向かって使者送られたが、頼朝過分な望み無く全て朝廷意向従いたいとする申状提出することにした。その使者2月20日京都帰還する改め議論が行われ、意見がまとまらなかった征夷将軍含めた官職への任命頼朝申状沿う形で再び先送りにしてまずは叙位先行させるとして、3月27日除目正四位下への叙位のみが行われた。この情報除目聞書人事異動写し)を持った義経使者によって4月10日鎌倉頼朝届けられた。

※この「義仲との戦い」の解説は、「源頼朝」の解説の一部です。
「義仲との戦い」を含む「源頼朝」の記事については、「源頼朝」の概要を参照ください。

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