義久時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:32 UTC 版)
永禄5年(1562年)、毛利氏による白鹿城攻めで、援軍として戦ったものの落城した。永禄8年(1565年)、第二次月山富田城の戦いでは、尼子義久に従って籠城したが、毛利軍による兵糧攻めのため糧補給を断たれ、城内の者は飢えに苦しんだ。その末、幸清は、嫡男・久信と共に毛利元就に降伏した。降伏後は安芸国高宮郡深川に移り住み、院内城主となった。
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