終末思想の始まり
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核戦争の脅威が高まったことで1960年代より米ソの緊張緩和(米ソデタント)が模索されており、1968年に核拡散防止条約が調印され、1969年より米ソ間で戦略兵器削減交渉(SALT)が行われるようになった。そんな中、ユネスコ会議において「地球と平和の概念を称える日」が提唱され、また、1969年サンタバーバラ沖油流出事故(英語版)も起き、1970年より米国においてアースデイが開始され、環境問題への注目が高まっていった。少女漫画では1971年に環境問題をテーマにした『日本列島一万年』(美内すずえ)が登場している。 そのほか1970年代初頭、日本では第二次ベビーブームが起きたものの、第四次中東戦争によって1973年10月に第1次オイルショックが起こると人口抑制が叫ばれ、日本の出生数は減少していくこととなった。また1971年のニクソン・ショックによる米ドルの金本位制の終了により日本では経常収支黒字が続いており、当時固定相場制だったこともあって対策に金融緩和が行われ、それによって通貨供給量が増えていったことでインフレーションが起き、狂乱物価となっていった。そんなオイルショックとインフレーションの中で、1973年11月には16世紀の終末の預言書「ノストラダムスの大予言」が登場して大ヒットし、オカルトブームが始まった。学研の学年誌「コースシリーズ」でも超能力やUFOなどの超常現象の記事が人気となった。少女漫画では考古学者が多く登場するようになったとされる。その代表的な作品には新興少女漫画誌『月刊プリンセス』に登場した『王家の紋章』(細川智栄子あんど芙〜みん)がある。 また手塚治虫を看板に据えたまんがエリート育成漫画誌「COM」が1967年に登場しており、その元投稿者が1970年代に少女漫画誌で活躍するようになる。これには萩尾望都、竹宮惠子、山岸凉子らがいる。彼女らなどは少女漫画に異風のSFやファンタジーをもたらしたが、その生まれが昭和24年前後であったことから花の24年組と呼ばれている。また、白泉社雑誌を場とした少女漫画デビューの男性作家柴田昌弘(サスペンス性・SF的要素・メカニック)、魔夜峰央(ミステリ・怪奇・耽美・ギャグ)、和田慎二(主にアクション)なども少女漫画の世界の拡大に貢献した。そのほか、主人公の成長を描く話(教養小説的作品傾向)が長編化と共に広がり、複数の成功作が生まれる。 また1960年代後半には西洋においてカウンターカルチャーからゲイ解放運動が起きており、それがアングラブームと結びついていた。日本の実験映画でも1968年に個人映画作家の岡部道男が米実験映画「スコピオ・ライジング(英語版)」(監督:ケネス・アンガー)の影響を受けてゲイ映画「クレイジーラヴ」を、1969年に映画作家松本俊夫がゲイバーを舞台にした「薔薇の葬列」を製作していた(前述の一条ゆかりのレズビアン漫画『摩耶の葬列』のタイトルの元ネタ)。また一般映画では1969年に少年愛(少年同士の恋愛)を含むイギリス学園映画の「If もしも....」が日本でも公開され、1970年にフランス寄宿学校映画の「悲しみの天使」が日本でも公開された。少女漫画では1970年代に花の24年組を中心として耽美な少年愛モノが増えていった。男同士のベッドシーンが描かれる初期の少女漫画作品としては1972年に別冊セブンティーンで連載された『ゲッシング・ゲーム』(山岸凉子)がある。少年愛では1973年に一条ゆかりが「りぼん」で『アミ…男ともだち』を掲載し、1974年より映画「悲しみの天使」の影響を受けた萩尾望都が週刊少女コミックで『トーマの心臓』を連載し、また、1976年より映画「If もしも....」の影響を受けた竹宮恵子が週刊少女コミックで『風と木の詩』を連載した。 そのほか、当時は1960年代に起きたブルーボーイ事件によって男性から女性への性転換も注目されていた。少女漫画では1971年の『りぼん』に『さらばジャニス』(一条ゆかり)が登場している。 また、性転換コメディも登場して人気となった。弓月光は少女漫画として男主人公の性転換コメディ『どろん』(1972年)、『笑って許して』(1973年)を『りぼん』に、『ボクの初体験』(1975年-)を『マーガレット』に連載し、このうち『笑って許して』は後の人気少年漫画「らんま1/2」(高橋留美子)にも影響を与えている。 また1960年代に司馬遼太郎の歴史小説「新選組血風録」及び「燃えよ剣」が登場してドラマ化され新選組ブームが起きており、少女漫画では『ベルサイユのばら』ブームの後の歴史フィクション物として新選組が注目されるようになった。1973年には「りぼん」に『恋よ剣』(弓月光)が掲載され、1975年には「週刊マーガレット」に『天まであがれ!』(木原敏江)が、1976年には「LaLa」に『あさぎ色の伝説』(和田慎二)が連載され始めた。しかし『天まであがれ!』は読者ウケが良くなく連載期間が短縮されたとされる。 その他、当時の音楽では四畳半フォークなどの生活派や叙情派のフォークソングが人気となり、少女漫画でも「乙女ちっくマンガ」と呼ばれる日常の微妙な少女的センスとしての少女趣味的な作品群が支持されていった。その代表的な作家には陸奥A子、田渕由美子、太刀掛秀子が居る。
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