立法者意思説と法律意思説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 02:16 UTC 版)
前述のとおり、いかなる解釈が妥当するかは、なぜ当該制度・条文が存在するかという制度趣旨・立法趣旨に遡った説明が必要になるが、その手法については、既に述べたように体系的な制度趣旨を重視するのか、個別の条文についての立法趣旨を重視するのかという論理解釈を巡っての立場の違いがある他、制度趣旨・立法趣旨の確定方法についても、立法当時の立法者及び起草者の意思をどの程度考慮すべきかについて、ドイツやアメリカを中心に古くから議論がある。 この点、20世紀以降のドイツ及び日本の通説は、論理解釈を重視しつつ、法の解釈は、解釈時における価値判断をも含めた法律そのものの意義を明らかにすることであって、過去の立法者の主観的な思想を明らかにすることに尽きるものではないとする法律意思説を概ね基調としている。客観説ということもある。 代表的論者として、カール・ビンディング、イェーリング、石坂音四郎らがいる。この立場からは、法律そのものではない起草委員の説明・答弁、立法審議上の国会議事録等のいわゆる立法資料は解釈に当たっての参考資料となりうるにすぎず、裁判官に対する法的拘束力は無いことになる。 ところが、19世紀のフランス・ドイツにおいては、これと相反する立法者意思説が通説であり、ヴィントシャイトが強調したように、立法者たる議会の尊重によって裁判官の不当な自由裁量を防ぎ、社会的弱者が害されることを防ぐべきことが主張されていた。特にサヴィニーにおいては、フランス註釈法学における以上に論理解釈を重視しつつも、法の解釈・研究は専ら古典文学を研究するのと同様の文献学的方法によるべきと主張されていた。このような立法者意思説自体は、法典が完成した後あまり時間が経たない段階では、ごく自然な立場であると考えられる。 しかし、19世紀末から20世紀にかけて、資本主義の進展に伴う社会の変動・複雑化が立法者意思説の維持を困難にした(→#論理解釈の典型例)。立法者は万能ではなく法典は不完全であるとの前提に立つ限り、立法者は未来の社会変動をも完全に予測しうるものではないのだから、立法当時の立法者意思がそのまま後世においても通用するとするときは、その解釈論は実際の社会生活上非常識な結論となりかねないのであるから、「立法者が如何なる意思を有したるかの歴史的事実に膠着するは社会をして法律の犠牲たらしむるもの」であると主張されたのである。 なお、注意すべきは、単に「立法者意思」の尊重と言っても、その内容は論者によって一様でないことである。例えば、デルンブルヒや梅謙次郎、富井政章、川名兼四郎らのように体系的な論理解釈を重視すれば、具体的・個別的な立法者意思から切り離された抽象的・包括的な立法者意思を観念することになり、立法者意思の尊重とはいっていても、立法資料の法源性否定を帰結するという意味において、その実質はほとんど法律意思説と同じとみることができる。法律は、過去の立法者の意思を表すものではなく、その時々の国民の代表である議会の意思を表すものであると考えられるためである(→#前法と後法)。ヴィントシャイトにおいてさえも、「立法者意思」をこの意味で使用している部分があるとも指摘されており、必ずしも両説全く相容れないものとは限らないとみることもできる。 そこで、制定法の歴史的意義もまた完全には否定できず、また解釈に客観的な論拠を持たせる事も可能になることから、立法者意思説を再評価する動きもある。 例えば、議会における個々の議員の発言や政府委員の答弁、草案の理由書等を立法者意思の現れと捉えつつ、また起草者の原案が委員総会及び議会での根本的修正を受けていない場合には、個々の起草者の学理的解釈をもまた立法者意思と事実上同一視して理解する見解が有力である。更に、議会で否決された草案の起草者の個人的見解であっても、該当箇所が現行法に継承されたとの理解を前提に、現行法の解釈にあたってこれを立法者意思と事実上同一視すると評される説が主張されることもある。このように、沿革及び立法資料を重視した解釈を歴史的解釈と呼ぶことがある。 これに対しては、起草者・立法者は単独ではないのが普通であり、その意思は必ずしも統一的ではないから、解釈者自身にとって都合の良いある特定の起草者見解のみをご都合的に立法者意思として援用するのは不当であること、議員や委員らの著書、発言等を金科玉条として収集するのみをもって満足してしまいがちであり、学問の発達が阻害されること、及び議会で票決されたのは法律の草案であって理由書や解釈ではないのだから、そもそもなぜ一般国民に向けられたものではない過去の立法資料が間接的にでも現在の国民への拘束力を生じるのか不明であるとの批判がある。 もっとも、法律は立法権を有する立法者の制定するものであって、特定人の個人的な著作物ではないから、法の解釈は特定の起草者の主観的な思想・見解を明らかにすることに尽きる(起草者意思説)ものではないという点において世界的にほぼ異論は無い。こんにち立法者意思説を主張する論者においては、法の解釈は過去の立法者の主観的意思の解明のみにあるとするような古い立場を採るものではもはやなく、各々異なるニュアンスにおいてではあるが、法解釈の手順に必須の一大要素として歴史的立法資料研究の価値を強調することで、立法府の尊重による法的安定性の確保といったような、立法者意思説本来の長所を発揮させようとしているのである。 20世紀後半から21世紀にかけては、幾度かの論争を経て、他の解釈学等の諸科学におけると同様、唯一絶対の正しい法解釈を具体的に観念することは不可能ないしは極めて困難であるとして、法律意思説を基本としつつも両説の長所を採り入れようとする傾向が有力である。
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