立法的解釈の限界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 02:16 UTC 版)
古代法は為政者のみが法律の内容を理解できれば足りたから、その内容は必ずしも平易明解である必要はなかったが、近世ヨーロッパにおいては法律の遵守を広く人民ないし国民一般に要求する以上、その内容はわかりやすくなければならないことが強く意識された。その結果、例えば、デンマークのクリスティアン五世の法典は、一家に一冊聖書と並べて飾られる程国民に親しまれたという。また、ナポレオンは、自らフランス民法典の編纂に直接関与し、逐一口を挟んで自分が理解できるよう起草することを求めたという逸話も残っている。さらに、前述のプロイセン一般ラント法は、教会で唱和することを予定され、法典自体を法学入門の教科書として、子供にもわかるものを目指して成立したものであった。ところが、誰にでも分かる平易な言葉は曖昧である。説明的・通俗的な文章は一面において内容の正確や実用性を犠牲にせざるを得ず、18世紀に成立した諸法典が陥ったように、一字一句に疑問を生じ、法文の激増がかえって解釈の必要を激増させるとも考えられる。 ドイツ民法典の編纂時にもこの点が問題となり、ドイツ民法典編纂委員会は、法典中の法律用語はなるべくドイツ固有の言語を用いなければならず、ローマ法由来のラテン語の学術語は、既に広く一般に浸透したもの以外はこれを採用しないものと決議し、そのために生じうる内容の不備を補うためには新たな術語を創造することも辞さないものとして一般国民への配慮を図った。しかし、なおギールケはドイツ民法第一議会草案に対しその文体が民衆向きでないと批判し、起草委員のヴィントシャイトは法典は裁判官の為に作るのであってもっぱら俗人のためではないと反論したが、修正を経て出来上がったドイツ民法典は、説明的に過ぎ、冗長なものとなって、古今独歩の美法典と讃えられた第一草案に比べ、学理的正確性の劣るものとなってしまったと評されている。日本の民法典編纂においてもドイツの議論の影響を受け、内容のわかりやすさと論理的構成の二兎を負うことが志向され、当時としてはかなり思い切った方針によって、平易簡明を旨として編纂されることとなった。しかし、その点を疑問視し、よりいっそう一般国民を名宛人としたものであるべきとする改正論も主張されている。これに対しては、曖昧な説明的規定を増やして法典を膨張・複雑化させても、かえって一般人にもわかりにくくなるとの批判もなされている。また、曖昧な理解を得てもそれだけでは現実の紛争の予防・解決に具体的解答を得ることは困難であるから、結局は専門の法律家に頼らざるを得ないとも主張されている。このように、成文法の第一次的な名宛人は国民であるのか(行為規範)、それとも裁判官であるのか(裁判規範)という問題は、民法のみならず刑法解釈論においても行為無価値論と結果無価値論の問題として激しく争われている。 結局、何をもってわかりやすいとするかは人によって一様でなく、言語としての限界もある以上、如何に立法的解釈によって法典自体をわかりやすくしようとしても、解釈問題が生じることは不可避である。
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