立法議会選の勝利とシッキム王国の滅亡とは? わかりやすく解説

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立法議会選の勝利とシッキム王国の滅亡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 21:51 UTC 版)

カジ・レンドゥプ・ドルジ」の記事における「立法議会選の勝利とシッキム王国の滅亡」の解説

1974年立法議会選挙選挙議席30)はSCとSNPの対決となったが、実は投票前からすで決着付いていた。この選挙ではコミュナル選挙制度廃止インド型の単純小選挙区制新たに採用されており、SNPはこの新たな制度に対応できず6人しか候補者立てることができなかったが、SCは全選挙区満遍なく候補者立てることができていたのである外交面ではSCインドとの関係緊密化を唱えSNCはインド・シッキム条約の改正シッキム独立訴えた。しかし有権者関心国内問題移っており、この問題大きな争点とならなかった。SC民主主義制度の導入経済的不平等除去土地改革推進など様々な内政改革綱領うたったが、これに対してSNPは、旧支配層利益代表していたためにSCのような主張唱えようがなかった。選挙結果は、SC30議席29議席獲得する圧勝で、SNPは僅か1議席とどまったのである。これによりSC総裁ドルジ首相に就任した。 ドルジ率いSC政権はこれ以降インド示唆を受ける形で王制廃止シッキムインドへの編入目指し動き始める。パルデン・トンドゥプはそれでもシッキム独立維持しようインドへの抵抗交渉続けたが、効果はなかった。1975年4月9日インド軍突如首都ガントク突入し王宮親衛隊武装解除、パルデン・トンドゥプを軟禁下に置いた。パルデン・トンドゥプが政権奪回狙って立法議会指導者暗殺し首都騒動引き起こそう計画したことがインド政府激怒買ったためとされる。翌10日シッキム国会において王制廃止インドへの編入決議され14日には同決議につき国民投票実施圧倒的多数賛成された。インドでも4月26日シッキムインドに州として組み込む憲法改正両院成立させた。5月15日インド大統領憲法改正法案への認証によりシッキムインド編入されシッキム王国は完全に滅亡した

※この「立法議会選の勝利とシッキム王国の滅亡」の解説は、「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の解説の一部です。
「立法議会選の勝利とシッキム王国の滅亡」を含む「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の記事については、「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の概要を参照ください。

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