立法議会選の勝利とシッキム王国の滅亡
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「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の記事における「立法議会選の勝利とシッキム王国の滅亡」の解説
1974年の立法議会選挙(選挙議席30)はSCとSNPの対決となったが、実は投票前からすでに決着が付いていた。この選挙ではコミュナル選挙制度が廃止、インド型の単純小選挙区制が新たに採用されており、SNPはこの新たな制度に対応できず6人しか候補者を立てることができなかったが、SCは全選挙区に満遍なく候補者を立てることができていたのである。外交面ではSCはインドとの関係緊密化を唱え、SNCはインド・シッキム条約の改正、シッキム独立を訴えた。しかし有権者の関心は国内問題に移っており、この問題は大きな争点とならなかった。SCは民主主義制度の導入、経済的不平等の除去、土地改革の推進など様々な内政改革を綱領でうたったが、これに対してSNPは、旧支配層の利益を代表していたためにSCのような主張を唱えようがなかった。選挙結果は、SCが30議席中29議席を獲得する圧勝で、SNPは僅か1議席にとどまったのである。これによりSC総裁のドルジが首相に就任した。 ドルジ率いるSC政権はこれ以降、インドの示唆を受ける形で王制廃止とシッキムのインドへの編入を目指して動き始める。パルデン・トンドゥプはそれでもシッキムの独立を維持しようとインドへの抵抗や交渉を続けたが、効果はなかった。1975年4月9日、インド軍が突如首都ガントクに突入し王宮親衛隊を武装解除、パルデン・トンドゥプを軟禁下に置いた。パルデン・トンドゥプが政権奪回を狙って立法議会指導者を暗殺し、首都で騒動を引き起こそうと計画したことがインド政府の激怒を買ったためとされる。翌10日、シッキム国会において王制廃止とインドへの編入が決議され、14日には同決議につき国民投票を実施、圧倒的多数で賛成された。インドでも4月26日にシッキムをインドに州として組み込む憲法改正を両院が成立させた。5月15日、インド大統領の憲法改正法案への認証によりシッキムはインドに編入され、シッキム王国は完全に滅亡した。
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