神道指令と戦後神道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 04:39 UTC 版)
1945年(昭和20年)に第二次世界大戦が終結して日本が降伏すると、GHQによる占領政策の中で神道指令が発せられ、国家神道体制が解体された。神道は、GHQによって国家主義的イデオロギーの根源と断定され、1946年(昭和21年)の2月に明治以降の神社行政に関する法律が全廃、同時に神祇院以下国家の神社管轄機構も廃止されたことで、神社の「国家の宗祠」という立場は否定された。神社は、1945年(昭和20年)12月に制定された宗教法人令の規定に基づいて、他の宗教と同様の宗教法人の取り扱いとすることが定められ、近代社格制度も廃止された。占領解除後は宗教法人令が廃止され、1951年(昭和26年)に宗教法人法が制定された。これは、従前の宗教法人令よりも宗教法人の認定基準を厳しくしたもので、全国の神社もこの法律に伴い宗教法人となった。 1946年(昭和21年)1月には、宗教法人として存続することとなった全国の神社を包括するための神社団体として、大日本神祇会(全国神職会)、皇典講究所、神宮奉斎会の三団体が発展的に解消し、神社本庁が結成された。 なお、神社は公的な立場を失ったものの、戦前には禁じられていた神葬祭の実施や各種の祈祷の隆盛により、経済的には戦前を上回る繁栄を手にした。高度経済成長によって日本経済が向上すると、神社においても戦前を上回る整備や拡充が行われるようになった。他方、経済成長により都市化が進むと、地方の過疎化に伴う氏子の減少や神職の後継者不足といった問題が顕在化していった。都市の神社においても、氏子層の流動化や都市開発による神社環境の悪化、名目氏子の増大などの問題を抱えるようになった。 平成に入ると、2000年代からはパワースポットブームが生じ、2010年代以降には御朱印集めもブームとなって、神社に参詣する人が増加した一方、その境内地での振る舞いやマナー、御朱印の転売などといった問題も生じ始めた。また、氏子の減少や地方の過疎化の問題に伴う神社の財政的問題も平成に入り一層顕在化した。2015年(平成27年)に神社本庁が全国約6000の神社に行ったアンケートによると、年間の収入が1億円以上の神社はわずか2%だった一方、300万円未満と答えた神社はおよそ6割にのぼった。高齢化や人口減少で氏子の数が減って地方を中心に収入の確保が難しくなり、経営が立ちゆかなくなる神社が相次いでおり、この10年で神社の数はおよそ300社減少している。このため、神社を守るためにやむを得ず神社の敷地の一部を貸し出してマンションなどにする神社の例も相次いでいる。一方、独創的な絵馬や御朱印を作ったり、合コンを企画したりカフェをオープンして憩いの場とするなど、様々な工夫を行うことで経営難を乗り切る神社の例もある。このほか、2007年(平成19年)にアニメ『らき☆すた』の舞台となったことで参拝客が増加した鷲宮神社など、アニメやマンガのファンが作品の舞台に訪れる「聖地巡礼」の対象となっている神社も日本全国に存在する。 現代における神社は、初詣、お宮参り、七五三、結婚式など、個人や家族の年中行事や人生儀礼における役割を果たしている。また、文化財の保護という側面から見ても重要な役割を果たしており、神社の社殿の建築における国宝指定数は2009年(平成21年)時点で27件30社に至っており、祇園祭など神社の祭祀や儀礼が重要文化財に登録されている例も多くあり、流鏑馬や雅楽、神楽舞など多くの伝統芸能が保存されている。また、都会の中に約100ヘクタールもの森林と約3000種の生物を有する明治神宮をはじめとして、多くの神社はその境内に森林を有しており、都市における森林保全の役割も担っている。また、神社界から環境問題に関する発言が行われる例も増えており、2009年(平成21年)には、世界中の多様な宗教者が集まる「平和のための世界集会」に神道の代表者として神社本庁が参加し、神道の立場から自然と人類の共生の必要性を訴えた。
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