社会的・思想的背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 00:31 UTC 版)
表現主義建築の背景にあるのは政治的、経済的、芸術的な変容である。ドイツの戦争、共産主義、社会主義、内戦、それにともなう混乱といったことの全てが、ユートピアの実現を目指した表現主義の発展に寄与することとなった。社会民主主義や、第一次世界大戦後の疲弊に順応しつつあったドイツ国民に支えられたワイマール共和国の目的は、新しい表現形式の発展を受けて戦前からある事業計画の推進を鼓舞するどころか、むしろ停滞させる気風しか生まなかった。皇帝ヴィルヘルム2世退位後の社会再建も同様である。そこで知識人の左翼的な発想はロシア革命(それはロシア・アヴァンギャルドと並走していた)に似た変革を求めた。ハイコストで壮大なベルリン大劇場の改築は、戦時中の経費や戦後の不景気よりも戦前の帝国を想起させるものだった。 表現主義建築に先行しながら同時代まで存続していた、共通点のある芸術運動にはアーツ・アンド・クラフツ運動やアール・ヌーヴォー、ドイツのユーゲント・シュティールなどがある。デザイナーと職人の統一は、表現主義建築にもつながるアーツ・アンド・クラフツ運動の主要な特徴であった。アール・ヌーヴォーにおいてしばしば見られる(ロマン主義においても一般的であった)自然主義的な題材も継続していたが、その華々しさは鳴りをひそめ、より現世的に方向転換をした。フィンスターリンは自然科学者エルンスト・ヘッケル(著書『自然の芸術』(独: Kunstformen der Natur)の挿絵をみずから描いている)と知り合い、その生態学から自然物の形態というインスピレーションの源を見いだした。 イタリアの未来派やロシア構成主義、そしてダダイスムは表現主義の時代に姿を現わし、類似点もしばしば見られた。ブルーノ・タウトの雑誌『Frülicht』の記事には、ウラジーミル・タトリンによる第三インターナショナル記念碑(タトリンの塔、英: Tatlin's Tower)のような構成主義の成果も含まれていた。ただし、未来派と構成主義が強調した機械工業化と都市化傾向がドイツでも支配的になるまでには新即物主義の時代を待たなければならない。メンデルゾーンは未来派と構成主義の境界線上で仕事をした特例であり、彼のスケッチにおけるダイナミックで溢れ返らんばかりのエネルギーという特質は、未来派のアントニオ・サンテリアのスケッチ上にも存在する。ダダの芸術家クルト・シュヴィッタースによるメルツバウにも、その角ばった抽象的な形態など、表現主義的な特徴が散見される。 フランク・ロイド・ライトとアントニ・ガウディのような個人主義者の影響も、表現主義建築の背景となる文脈を提供した。というのも、ライトの作品集はメンデルゾーンの講義に用いられて彼の周囲で広く知られるようになっており、またガウディの仕事とベルリンでの動向は相互に影響を与え合っていたからである。例えば1926年にベルリンで結成された建築家たちのサークル"der Ring"も、ドイツで出版したりフィンスターリンと文通していたガウディについては知っていた。ただしガウディについて補足すると、バルセロナではアール・ヌーヴォーの建築と20世紀初頭の建築(ユーゲント・シュティールと対立した)とが急速に断絶するには至らなかったため、ガウディの仕事はブルーノ・タウトが主張するようなものよりはむしろアール・ヌーヴォー的な要素の方が多く含まれてはいる。 表現主義建築のより大きな背景としては、スコットランドのチャールズ・レニー・マッキントッシュの仕事について言及しなければならない。彼が制作したヒル・ハウスのような建物やイングラムチェアは一概にアーツ・アンド・クラフツ運動やアール・ヌーヴォーとしては分類しにくく、表現主義的な色合いがある。彼の仕事は1900年にウィーン分離派展に出展されていたので大陸でも知られていた。表現主義は衰退するが、日本ではウィーン分離派に影響されて1920年に分離派建築会が作られた。 表現主義建築は多くの作家からその思想的な素地を得ている。表現主義の建築家にとってとりわけ重要な哲学的源泉は、ニーチェ、キェルケゴール、そしてベルクソンらの著書である。ブルーノ・タウトのスケッチではニーチェの著作、とりわけ『ツァラトゥストラはかく語りき』が頻繁に引用される。なぜなら、その主人公こそ表現主義者の求める自由――ブルジョア的世界を拒否する自由、歴史からの自由、個人主義的な孤独に生きる精神の力強さ――の体現者だからである。タウトの『アルプス建築』もツァラトゥストラの下山からインスピレーションを得て構想されたものである。またアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデもニーチェの強い影響下にあり、みずから『この人を見よ』の扉ページのイラストを描いている。またフランツ・カフカの『変身』における形態の変容も、表現主義建築の特徴である素材の不定と照応している。タウトの最もよく知られた建築作品の一つであるグラス・パヴィリオン(第1回ドイツ工作連盟展にて公開)は、彼のサークルに関わっていた詩人パウル・シェーアバルトの著作『ガラス建築』からヒントを得たものである。 フロイトやユングらの精神分析学の登場は、表現主義にとって重要だった。形態と空間の与える心理的効果に関する調査が、建築や研究や映画の中で建築家によって行われた。タウトは、「オブジェが俳優の感情や所作を反映するという心理的な役割を果たす」という舞台背景のデザインがもつ心理学的な可能性に注意した。夢と無意識についての研究はまた、形態に関するフィンスターリンの探求にも材料を提供した。 表現主義者たちの思考の精髄は、『芸術における精神的なものについて』("Concerning the Spiritual in Art"、1912年)や『点と線から面へ』("Point and Line to Plane"、1922年)などカンディンスキーの芸術論に見て取ることができる。
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