発射器についての概略
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「7.2インチ 対地ロケット発射器 M17」の記事における「発射器についての概略」の解説
7.2インチロケット弾のための発射器は数多く生産されたが、中でも最も多く使用されたのがM17多連装ロケット発射器である。 当初T40という名称が与えられていたこの発射器は20連装のもので箱形をしており、M4中戦車の砲塔に搭載された。左右の向きは砲塔を動かして調整し、仰俯角については発射器と連結した砲身を上下動させることによって調整する。 装填は前方(砲口側)から行われ、単発射撃と一斉射撃の選択が可能だった。またT34カリオペ発射器と同様に緊急時の即時取り外しも可能である。 1944年頃から戦線で使用され始め、兵士から「ウイズバン(Whiz–Bang、擬音:「ヒューン」「バーン」の組み合わせ)」というあだ名で呼ばれるようになった。 詳細は「T40ウイズバン」を参照
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発射器についての概略
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「3インチ 対空ロケット発射器」の記事における「発射器についての概略」の解説
Mark.1ロケット弾を運用する最初の発射器はグリニッジのG・A・ハーヴェイ社によって製作された。同社はこの発射器の設計を10週間ほどの内に終わらせて1940年9月までに1000基を生産。その数は終戦までの間に2500基にのぼった。この発射器の開発にはBSAやヴィッカースも関わっていたのだが、陸軍型はMk.1、海軍型は3インチ ハーヴェイL.S.発射器として知られている。(海軍型の大部分は船団護衛部隊に配備された)Mark.1は非常に簡易な構造で、二本のガイドレールを用いる単装の発射器である。発射用のガイドレールを挟んで両側に1名ずつの操作手が配置され、右側が装填を担当し、左側が簡単な照準器で目標を捕捉しロケット弾に点火した。なおこの発射器では電気式点火方式が採用されている。 陸軍最初の運用部隊は1940年10月編成のアベルポルス射撃試験中隊だが、これに続く部隊は郷土防衛隊防空部隊内に編成された。(アベルポルス射撃試験中隊は最初のドイツ軍機撃墜も記録している)生産数はまとまったものであるが、戦時急造兵器の性格が強く、後述の発射器が生産されることによって多くは射撃試験とロケット弾の運用訓練に用途転換された。 イギリス軍によって初めて大規模に運用された3インチ対空ロケット発射器がMark.1に次いで採用されたNo.2 Mark.1である。この型では発射用ガイドレールの数が4本に増やされて単装もしくは連装発射器として使用できた。基本的な構造は前作のMark.1とほぼ等しく、ガイドレールを挟んで両側に操作手が配置された。左右角の調整は右側の操作手が、仰俯角の調整は左側の操作手が担当する。ロケットへの点火は中隊本部の指令装置より電気的かつ一斉に行われた。 これを装備する1個中隊が北アフリカ戦線のトブルク防衛に際して港湾防空のために派遣された。 上記2種の発射器はどちらも地上固定式でコンクリート製の土台などに設置されるために機動性はない。 前記2種の発射器よりも多連装かつ機動性を有するものとして採用されたのがNo.4 Mark.1とMark.2である。ガイドレール式9連装発射器で、3インチ高射砲と同型の台車上に設置されていた。操作手として基部に設置された金属製の「箱」内に2名が配置され、それぞれ左右角と仰俯角の調整を行った。Mark.2は電磁式信管設定装置が装備されている点においてMark.1と異なる。斉射には0.75秒を要し、3発/2発/2発/2発の4回に分けてロケットに点火された。およそ100基が生産された後に8個中隊が編成され、その内の2個中隊が北アフリカに派遣されていた。 第二次世界大戦中のイギリス軍のロケット発射器の内、最大のものがNo.6である。ガイドレール式の20連装発射器で、地上の土台に固定されていたため機動性はない。発射器中央に操作室があり、10連装のガイドレールが左右に1基ずつ取り付けられていた。操作手は縦並びに2名が配置され、前方操作手が簡単な照準器で仰俯角の調整を行い、後方操作手が左右角の調整を天窓を見ながら行った。作業の進捗は中隊本部指令所に伝達され、ここからの指令で中隊一斉に発射される。斉射には0.75秒を要し、6発/4発/6発/4発の4回に分けてロケットに点火された。この発射器が部隊配備されたのは1944年である。
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発射器についての概略
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「4.5インチ 対地ロケット発射器 T66」の記事における「発射器についての概略」の解説
このロケット弾の発射には旋動弾方式に対応した専用のT66多連装(24連装)発射器が用いられ、従来のM8用発射器は使用できなかった。 第二次世界大戦中はアメリカ陸軍第1軍第8軍団所属第282野戦砲兵大隊に配備され、1945年5月からヨーロッパ戦線終結までのごくわずかな期間に使用されたにすぎないが、その後はM8ロケット弾を使用する各種の発射器と逐次交換され、朝鮮戦争でも大量に使用されている。現在も残る朝鮮戦争の記録映像の中で見られる8列×3段の発射器はこれである。 ロケット弾の装填は砲口から行われ訓練された兵士ならばこの作業はおよそ90秒で完了し、全弾の発射には2秒を要した。
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発射器についての概略
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「4.5インチ 対地ロケット発射器 T27〜M12E1」の記事における「発射器についての概略」の解説
前述の通りこのロケット弾は様々な部隊・戦地で使用されたために発射器の種類も多い。ここでは概略の判明しているものに限って解説を行う。 T27 多連装発射器 発射管8連装の発射器でGMC CCKW 2.5tトラックなどに搭載された他、地上に降ろして固定式発射器としても使用できた。発射器は横方向への回転ができなかったが −5°から+45°の間で仰俯角の調整ができた。M6望遠照準眼鏡とM100砲架が併用され、点火は主に電気式で行われる。 T27E1 多連装発射器 基本的にT27と同型だが、輸送用に発射器の分解ができた。 T27E2 多連装発射器 T27の発射管の数を増やし24連装としたもの。 T28 多連装発射器 T27E2と同型だが、発射管の代りにフレームを採用したもの。 T34 カリオペ 多連装発射器 M4中戦車の砲塔に搭載された60連装の発射器。ベニヤ板で作られた発射器の角度調整は戦車の砲塔を動かすことで行われ、尾部から装弾された。この発射器は緊急時に全体を取り外すことができ、およそ2〜3回の斉射の後に交換された。 T34E1 多連装発射器 T34の派生型。M4A1中戦車の砲塔に搭載され、発射管の構成が変更された。 T34E2 多連装発射器 T34E1の派生型。円筒型の発射管から角柱型の発射管に変更されたもの。 T44 多連装発射器 DUKW、LVT(A4)搭載型。上陸作戦の支援に用いられ、固定式の120連装で角度などの調整はできない。 T45 多連装発射器 M24軽戦車、LVT、ジープ搭載型。14連装の発射器をそれぞれ車体の左右に1基ずつ搭載する。+35°までの角度で仰角の調整が可能。 M10 三連装発射器 M8ロケット弾を使用し、P-47やP-51が空対地攻撃で運用。 M12 単装発射器 負革(スリング)を用いて運搬する単装型。歩兵部隊が運用し、強固な防御拠点やトンネル陣地などの爆破に用いた。プラスチック製の発射管は全長1219mm、重量23.6kg。発射の際は地面に下ろして2脚で固定した。使い捨て発射器である。 M12A1 単装発射器 M12の派生型。外見上の差異はほとんどない。 M12E1 単装発射器 M12の派生型。再使用できるように発射管をマグネシウム合金で製作したもので伸縮式の2脚が取り付けられた。 スコーピオン 発射器 DUKW搭載用の特別型で144連装に改造されている。ごく少数がニューギニア戦線で使用された。
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