男女別学時代とは? わかりやすく解説

男女別学時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:41 UTC 版)

近畿大学附属高等学校・中学校」の記事における「男女別学時代」の解説

また、高校は男女別学時代を経験しており、1963年度から初の女子生徒普通科)を入学されるが、男子校継続する形として、近畿大学内の高校男子校舎から1キロほど離れた附属中学校小学校校舎内に高校女子部を設置された。略称は『女子部』『近女(きんじょ)』高校入試関連雑誌などでは「男女共学」で記載されたもの、男子部女子部各校舎間が約1キロほど離れていたため、男子部女子部との間での交流一切なく、入学式体育祭文化祭卒業式などの全ての学校行事昼食校章デザイン全て男女別で行ってきた。なお、「校歌」のみ男子部女子部一緒当時男子部制服は黒のホック留め蛇腹海軍型詰襟学生服採用され男子部校舎は「河内学習院」と呼ばれていた。男子部生徒数毎年1200人以入学しており、3学年合わせて3700人も在籍され、全国男子校高校として最大数となり、学校全体として朝礼行われず学年ごとに月に1度行われた。また女子部毎年130人近く入学し、3学年合わせて380人近くとなり、男子部女子部合計して4000人のマンモス校となった。男女別学時代にも学食設置していたが、昼休み学食での食事男子部限定通学路男女別であり、男子部近鉄大阪線長瀬駅下車して大学道りを徒歩女子部近鉄奈良線八戸ノ里駅下車から徒歩であり、男子部のほとんどの生徒たち女子部制服姿見かけたことも一切なかった。また、春の選抜高校野球には男女別学として過去最多の6回(1967年1971年1975年1988年1989年1990年出場しており、応援席のみ男子部女子部一緒行っていた。応援席男子部女子部分断されているとおり、男子部女子部間に境界線作り半分男子部残り半分女子部となっていた。試合始まり選手たちエールを送るときも男子部限定行われ勝利した時の校歌」は男子部女子部共通であり、男子部女子部一緒に合唱した応援駆けつけたほとんどの男子部生徒たち女子部制服姿見かけたのは一度限りでもあった。また、応援席全員男子部の日もあった。男女別学時代の「校歌」もシングルレコード化されことがある放課後休日部活吹奏楽部スキー部水泳部など)に所属する女子部生徒たち男子部校舎来て部活通して男子部女子部交流の場となっていた。休日男子部校舎内の学食開店しており、学食での昼食基本的では男子部限定であるが、部活で来る女子部生徒たち学食昼食することも可能だった当時の制服1980年代当時1990年男女共学移行当時継続され1992年度入学生まで) 男子部男子校伝統でもある詰襟。黒のホック留め蛇腹海軍型詰襟学生服左右両襟に襟章校章)を刺繍学帽あり。学帽通学路にて着帽ていないと、生活指導部より指導入った。夏は、半袖の白ワイシャツに、ライトグレイズボン濡れると変色する為、生徒達からは不評だった。 女子部:紺のダブルブレザー(右ポケット女子部イニシャル「K.G.H.」を刺繍)、薄青ブラウスエンジ色ネクタイベレー帽あり。 当時の校章 男子部大学学園章に「髙」(1990年男女共学移行当時継続され1992年度まで)。 女子部大学学園章縦書きで「女髙」。 当時昼食方法放課後以外) 男子部食堂あり(大学との併用の為、煙草自販機があった) 女子部教室内で持参弁当のみ

※この「男女別学時代」の解説は、「近畿大学附属高等学校・中学校」の解説の一部です。
「男女別学時代」を含む「近畿大学附属高等学校・中学校」の記事については、「近畿大学附属高等学校・中学校」の概要を参照ください。


男女別学時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 03:44 UTC 版)

明星中学校・高等学校 (東京都)」の記事における「男女別学時代」の解説

1923年男子校として設立。その31年後の1954年中学高校女子部設立され男女別学となった通学路中学高校男子部女子部一緒で、歩いている時のみ、男子部女子部生徒たちとの会話可能だった中学高校男子部中学高校女子部校舎は同じ敷地内にあり、男子部女子部との交流一切なく、校舎内で男子部女子部生徒たち会話することも校則禁じられていた。 始業式入学式体育祭終業式修学旅行卒業式などの学校行事全て男女別で行われてきており、男子部限定行事女子部限定行事もあった。文化祭である明星祭のみ男子部女子部一緒に行われてきた。 校歌男女別であり、男子部校歌は「校歌」、女子部校歌は「女子部の歌」。 男女別学時代当時の制服 男子部男子校伝統でもある詰襟濃紺ホック留め海軍型好き嫌い顕著に出る。ホックつけづらいから嫌いという声が目立つ。 女子部は胸もとにリボン中学えんじ色高校=紺)をつけたジャンパースカート2001年からは森英恵デザインブレザー改定する男女別学時代当時の制服は、2003年中学校2006年高校それぞれ共学移行以後着用可能である。 男女別学時代当時の食堂 男子部女子部別学時代当時にも食堂中学高校一緒)も設置しており、利用男女別。月曜日・火曜日水曜日女子部木曜日金曜日土曜日には男子部それぞれ利用利用できない日は教室持参弁当食べていた。

※この「男女別学時代」の解説は、「明星中学校・高等学校 (東京都)」の解説の一部です。
「男女別学時代」を含む「明星中学校・高等学校 (東京都)」の記事については、「明星中学校・高等学校 (東京都)」の概要を参照ください。


男女別学時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 10:57 UTC 版)

九州国際大学付属中学校・高等学校」の記事における「男女別学時代」の解説

高校には男女別学時代があった。男子部女子部校舎離れており、男子部校長女子部校長それぞれおかれた。入学式文化祭・体育祭修学旅行卒業式などの学校行事異なり同名学校ながら別々の組織だった。ただし、男子部野球部が春1回夏2回、甲子園出場したときは、応援席では男子部女子部生徒一緒に応援した応援歌制定されているが、応援歌男子部限定だった。2001年には、移転した九州国際大学跡地男子部校舎新築され、2005年には同敷地内女子部校舎増設された。以後共学化向けて組織だった両部交流盛んになっていった校歌男女別(女子部校歌は現愛唱歌)であり、高校野球勝利したときは男子部校歌採用していた。 コース 男女別学時代、現在とは異なコースクラス存在していた。 男子部 特別進学難関クラス(現 難関クラス) 特別進学クラス (現 特進クラス) 進学クラス (現 進学クラス) スポーツクラス (現 トップアスリートクラス)女子部 特別進学コース (現 特進クラス) 進学コース (現 進学クラス) 国際教コース 制男子部詰襟ファスナー留めで紺の海軍型学生服だった。襟章(左:校章・右:エンジ色学年章バッジ配置夏服は白カッターシャツ設立以来からずっと続いてきた。八幡大学附属高校時代には制帽(四角天井白線縁取った角帽)も採用されていた。 女子部は紺のブレザー胸ポケットに「YFKエンブレム配置)に白ブラウス夏服は白ブラウス。現校名変更後胸ポケットエンブレムも「KFK」に改め赤いリボン追加された。夏服セーラー服改定された。胸ポケットエンブレム上部それぞれの学年の色(赤、青、黄)の組章バッジ配置八幡大学附属高校時代制帽(紺色ハット)も採用されていた。 校章 男子部橘の花の上縦書きで「付高」。 女子部橘の花の上縦書きで「付女高」。現校名変更後は「KFK」エンブレム変更昼食方法 男子部女子部各校舎に食堂設置(勿論男女別)されたが、新校舎移転後は展望レストラン生まれ変わり利用時間男女別(男子部11:4012:20頃、女子部12:4013:20頃)だった。

※この「男女別学時代」の解説は、「九州国際大学付属中学校・高等学校」の解説の一部です。
「男女別学時代」を含む「九州国際大学付属中学校・高等学校」の記事については、「九州国際大学付属中学校・高等学校」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「男女別学時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「男女別学時代」の関連用語

男女別学時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



男女別学時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの近畿大学附属高等学校・中学校 (改訂履歴)、明星中学校・高等学校 (東京都) (改訂履歴)、九州国際大学付属中学校・高等学校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS