田中逮捕と三木おろしの激化とは? わかりやすく解説

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田中逮捕と三木おろしの激化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)

三木武夫」の記事における「田中逮捕と三木おろしの激化」の解説

ロッキード事件最中三木支えていた松野頼三政調会長らの説得振り切り、自民党から河野洋平西岡武夫ら6名が離党して新自由クラブ結党された。6月21日には三木椎名会談持ち三木体制下でロッキード事件真相解明進めることで合意したこの頃からロッキード事件による関係者の逮捕始まった椎名主導三木おろし乗り切った三木は、7月半ばには自らの手総選挙を行う意欲見せていた。 7月26日選挙区である新潟県内の川で鮎釣り楽しんでいた稲葉法相のもとに、法務省刑事局長から電話かかってきた。電話内容田中前首相逮捕状請求許可求めるものであった稲葉起訴できるのか、公判維持可能なのかを確認した上で許可出した稲葉中曽根派であったが、派閥の長である中曽根にも知らせことなく首相三木にのみ田中逮捕予定知らせた福田三木から田中逮捕についての相談を受けなかったことに不快感見せたが、大平中曽根連絡事前に受けて困っていたと話していたという。 1976年昭和51年7月27日朝、田中前首相逮捕された。田中逮捕はいったん沈静化していた三木おろし激化させた。福田三木対し党幹部仲間田中首を切った血刀ぶらさげたまま政治できないので、総辞職するように三木勧めた。そしてとりわけ田中逮捕憤り見せたのが主を逮捕され田中派であった田中派田中前首相逮捕により、もはや三木おろしロッキード隠しと言われる筋合い無くなったとして三木おろしへと走った三木対す憎悪怨念突き動かされ田中派椎名に代わって三木おろし中核を担うことになり、それにポスト三木を狙う福田派大平派同調し、更に中間派も争うように反三木流れ加担した三木はまず8月11日12日福田大平個別会談行い、反三木流れ食い止めようとした。結局この会談の中で福田大平とも三木追い詰めることができなかった。 田中8月17日保釈されたが、目白自宅戻った田中の口から語られる三木対す憎しみを、田中派議員たちは聞かされることになった結局8月19日には田中福田大平の三派に中間派の自民党国会議員らが参加する三木おろし進め挙党体制確立協議会挙党協)が結成された。挙党協は船田中を代表世話人とし、自民党全国会議員の三分の二以上が参加し福田大平を含む三木内閣閣僚15名が参加した挙党協はまず両院議員総会開催要求した三木執行部要求拒否する挙党協側は8月24日独自に両院議員総会開催し臨時国会召集前に党の刷新を行うことを決議した。しかし三木はあくまで退陣拒否し8月21日23日福田大平との個別会談、そして24日25日行われた三木福田大平との三者会談の席でも、福田大平臨時国会前の退陣要求拒否し、あくまで三木政権での臨時国会召集主張した。なお、三者会談の席で三木福田大平両名に「私が辞めた後、君たちのどちらが首相をやるのか?」と尋ね福田大平は「まだ決まっていない」と答え三木から「後釜決めずに私に辞めろというのか」と反撃された経過もあった。激しさを増すばかりの党内対立の中、中曽根幹事長らは妥協模索するが、交渉決裂した。もはや三木挙党協との対決のっぴきならない段階にまで陥っていた。 9月10日三木これ以上臨時国会召集遅らせることはできないとして、午前閣議10月臨時党大会開催することを盛り込んだ所信表明した上で夕方改め臨時閣議開催して臨時国会召集閣議決定すると宣言した三木臨時国会開催した上で衆議院解散断行するつもりであった。しかし挙党協側の15名の閣僚三木激しく反発し結局この日夕方からの閣議は5時間及んだ三木15名の反対派閣僚罷免して、三木支持する5閣僚に3閣僚ずつ兼務させた上で臨時国会召集し解散持ち込むことを検討した実際に井出一太郎官房長官指示で、閣僚罷免についての法律上手続き上の問題調べており、反対派閣僚罷免した上で解散断行の手続き進んでいた。しかし結局三木その方法選択することは無く緊迫した閣議井出官房長官の「まあ、お茶でも入れましょうや」のひとこと散会となった三木15名の閣僚罷免して臨時国会召集解散というのはファッショ呼ばれる民主主義ルールは守らなければならないとの考え方に基づき強硬策の採用断念した反対派閣僚罷免した上で臨時国会召集し衆議院解散して己の所信国民に問うという方法選択しなかったことについては、三木政治家としてのバランス感覚を示すものとする見方と、強力な政治力求められる強引かつ重い決断必須情勢であったのにもかかわらず決断力不足という三木政治家としての限界示したものとの見方がある。 ところで自民党内の三分の二越える反三木勢力対峙せねばならなかった三木同じくらい、反三木勢力側も重いジレンマ悩まされていた。もし三木閣僚罷免した上で臨時国会召集し衆議院解散断行した場合総選挙では自民党分裂決定的となり、挙党協はロッキード隠し勢力と見なされて惨敗喫しかねなかったからである。政権を失う可能性の高さを考えると、すでに首相務め上げた上、ロッキード事件逮捕されことによる三木対す怨念取り付かれ田中や、領袖逮捕され三木対す憎悪が強い田中派以外、このようなリスク抱えながら三木退陣要求突っ走り続けることには無理があった。特に福田大平にとっては自らの首相への道を閉ざされかねず、強行一本槍の対応は取り得なかった。これは他の挙党幹部にとっても事情としては同じであり、8月24日両院議員総会の席では三木総裁解任要求する田中派抑えていた。結局三木挙党協はぎりぎりのところで妥協図られることになった9月11日の朝、中曽根幹事長大平蔵相会談し中曽根幹事長から両院議員総会開催し首相から臨時国会では解散行わない表明するとの提案なされた前日三木反対派閣僚罷免という強硬策に出なかったこともあって挙党協側も妥協転じており、大平中曽根提案受け入れ、続く中曽根福田会談でも福田中曽根案を受け入れた福田大平への根回しの後、三木中曽根保利船田会談開かれ三木挙党協との激突による自民党分裂回避された。 9月14日開催され両院議員総会の席で三木は、臨時国会挙党的な協力体制のもと審議進めば解散はないこと、10月総選挙への体制固めを行うために臨時党大会開催すること、そしてロッキード事件を党再生契機とし、党の体質一新することの三点所信として述べた結局三木事実上解散権封じられることになったものの、挙党側から進退強要されることは免れることができた。 田中前首相逮捕から約一週間後という、ロッキード事件捜査佳境入った時期8月4日深夜鬼頭史郎判事補布施検事総長名乗り三木ニセ電話掛けるニセ電話事件発生した検事総長騙った鬼頭は、田中前首相公判維持は困難であり、それよりも中曽根幹事長疑惑強まっていて、首相指揮権発動して捜査止めるしかない状況であるとして、三木指揮権発動言質取ろうとした。三木鬼頭策略乗せられなかったが、結局秋になって事件発覚し鬼頭判事補罷免されることになる。また三木挙党協側が激し党内抗争火花を散らしていた9月6日には、ソ連ミグ25戦闘機領空侵犯した上、函館空港強行着陸するベレンコ中尉亡命事件発生したミグ25乗っていたベレンコ中尉アメリカへの亡命求め日本政府亡命認めた。またソ連即時返還要求したミグ25機体は、米軍共同解体調査の上ソ連側返還した

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