現行印鑑登録制度成立の背景
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「印鑑登録」の記事における「現行印鑑登録制度成立の背景」の解説
印鑑(印章)は近世以降、日本の一般庶民の間でも商業・権利契約の際に広く使用されるようになっていたが、登録制度による公的な裏付けが開始されたのは1871年(明治4年)の太政官布告第456号「諸品売買取引心得方定書」によるものが最初である。市町村制施行以前であったことから、各地域の有力者である「身元町村指配の庄屋或は年寄共方」に印鑑帳を置き、これに住民の印鑑(印章)を押捺して保管する形式を採った。 その後、1878年(明治11年)の太政官達第32号「府県官職・戸長職務の慨目」において「町村内の人民の印影簿設置」が戸長(後年の市町村長に相当)の事務の一つとされ、以降の印鑑登録は自治体の長が任を負う自治事務となった。以後、1888年(明治21年)の市制・町制実施、1947年(昭和22年)の地方自治法施行後もこの原則は踏襲された。 印影簿保管方式による印鑑登録証明は、登録されたものと同一の印影を押捺された書類を市町村役場窓口に持参する方式を採る。市町村職員は印影簿と提出書類の印影を対比し、同一の印影と認められる場合に、提出書類に「登録された印影と認める」旨の証明印を市町村長名で押印してこれを証明した。 この方式は、印鑑登録証明の頻度が低く、市町村の単位も小さかった時代には一応機能していたが、太平洋戦争後、市町村合併が進行して市町村役場1箇所あたりの登録印影数が大きく増加し、更に経済活動の活発化により、各種の契約や申請において印鑑登録証明の添付を求められる頻度が高くなると、運用の困難さが顕現化した。 もとより印鑑(印章)は繰り返しの使用によって徐々に摩滅し、また押印時の力のかけ方や、紙・朱肉の質の違いによって、押捺ごとに印影に微細な差異が生じることは避けられない。このような印影につき、市町村職員が磨耗前に記録された印影簿との視認で詳細に対比して、書類1通ごとに証明を与える作業自体、非効率で繁雑であった。 1950年代以降は、例えばモータリゼーションの進展により、自動車販売業者が新車登録のために、顧客の押印済み書類を一度に数十枚単位で役所窓口に持ちこむような事例も増加し、自治体担当者は証明手続の事務作業に忙殺された。更には書類の印影の真偽を巡って、これに証明を与えた市町村が利害関係者から責任を問われ、民事訴訟を起こされる事態も少なからず発生したのである。 このように、印影簿式の印鑑登録制度では市町村側への負担が増大する一方であり、また個々の市町村で取扱基準がまちまちであったため、自治省に対して「全国で統一して運用される印鑑登録法の制定」を求める声が昭和30年代以降、全国の市町村から高まった。だが、当時3000以上存在した全国の市町村で、それぞれ条例もしくは長年の慣例によって運用されていた印鑑登録制度を、一斉に統一制度に移行させることは現実として難しく、自治省も法制定の必要性は認めながらも、二の足を踏む状態が続いた。 相前後して、実用的な複写機の開発に伴い、市町村役場は印影簿から印影を複写した印鑑登録証明を発行し、押印された印影との照合判断は契約・申請の当事者に委ねることが合理的であるという着想が浮上した。条例を改正し、複写式の印鑑証明方式を導入する自治体は1960年代に徐々に増え始めた。 しかし、1960年代初頭時点では「青焼」と呼ばれるジアゾ式複写機は事務用の小型の場合、湿式複写を用いる関係で複写印影のにじみ、歪みが危惧され、またゼロックスに代表されるPPC複写機は複写の変質はほとんど生じないものの、普及初期で装置導入コストが極めて高価という課題があった。更に一部の法務局や金融機関などは、当初、複写式の印鑑登録証明を公的証明として認めることに消極的であった。このため、1960年代後期でも旧来からの窓口証明方式を維持する市町村が大勢を占めた。 それでも印鑑証明の申請件数は年々増加する一方で、在来方式での事務処理増大を放置できる状態ではなくなっていた。複写式印鑑証明が大量申請にも速やかに対応できる合理的手法であることは明らかで、1970年代に入るとPPC複写機の普及に伴う導入コスト低下もあり、複写方式への移行が趨勢となった。 また実情から見て法律制定は困難と判断した自治省は、1974年に「印鑑登録証明事務処理要領」というガイドラインを示す形で実質的な統一基準とし、各市町村にはこれに沿った形で複写式の印鑑証明を用いる印鑑条例を制定させるという現実的な妥協策を示した。 この結果、1974年以降の数年間のうちに、全国ほぼ全ての市町村で自治省の処理要項に沿った条例が整備され、登録印影の複写を印鑑証明として交付する方式が一般化して、現在に至っている。
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