現代のハタ・ヨーガとは? わかりやすく解説

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現代のハタ・ヨーガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:53 UTC 版)

ハタ・ヨーガ」の記事における「現代のハタ・ヨーガ」の解説

今日さまざまな体位法(アーサナ)に重点を置くハタ・ヨーガ世界的に広まっているが、これは浄化法やムドラープラーナーヤーマ重視する古典的なハタ・ヨーガとは別物である。宗教社会学者の伊藤雅之は、現在実践されているアーサナ大半は、19世紀後半から20世紀前半西洋発達した身体文化キリスト教伝道するYMCAイギリス陸軍によってインド輸入された)を強調する運動由来する述べている。伊藤は、現代アーサナ起源は、西洋式体操法などの西洋身体文化が、インド独自の体系として、伝統的なハタ・ヨーガ」の名でまとめられたものである述べており、現在のアーサナと、『ヨーガ・スートラ』に代表される伝統的な古典ヨーガ中世以降発展した(本来の)ハタ・ヨーガとのつながり極めて弱いと指摘している。 アーサナ偏重現代ヨーガ基礎20世紀前半築かれた。19世紀ヨーロッパでは、精神だけでなく肉体鍛えようとする「身体文化」が興隆した。20世紀に入ると、インドではその流れ受けて国産エクササイズ生み出そうとする動き活発化した。近代ヨーガ立役者であるヴィヴェーカーナンダ19世紀末ハタ・ヨーガアーサナに対して否定的な態度取ったが、20世紀入ってから体操的なものとして復興したアーサナ(実は、欧米体操などの影響強く受けている)は、パタンジャリすなわち『ヨーガ・スートラ』の伝統に基づくという解釈によって権威づけされた。その時代に身体文化としてのヨーガ推進貢献した人物としては、ボンベイ(現ムンバイ)などで活躍したスワーミー・クヴァラヤーナンダ(英語版)(1883年 - 1966年)、シュリー・ヨーゲーンドラ(1897年 - 1989年)、1930-40年代マイソールヨーガ指導したティルマライ・クリシュナマチャーリヤ(英語版)(1888年 - 1989年)などが挙げられる。マニク・ラオに伝統的体育学と武闘術を学び、マーダヴァダースにヨーガ学んだクヴァラヤーナンダは、ヨーガ学問的に研究し体育教育病気治療活用しようとした。彼は1924年プネー近郊のローナヴァラにカイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所創設しヨーガ研究普及努めた。 クリシュナマチャーリヤは現代ヨーガへの影響大き人物で、「現代ヨーガの父」とも呼ばれる。クリシュナマチャーリヤは1930年代マイソール藩王宮殿ヨーガ教師の職を得て、ジャガンモハン宮殿内ヨーガ教室開いた当時マイソール藩王国統治していたクリシュナ・ラージャ4世1884年 - 1940年)は体育振興に熱心であり、クリシュナマチャーリヤが構築した体操的なアーサナスタイル背景には、1920~30年代マイソール振興図られさまざまな身体文化の要素があった。ノーマン・スジョーマンの研究では、マイソール宮殿では王族体操実践していたと指摘され、マイソール・スタイルのヨーガ形成において宮殿にあった体操教本利用され可能性示唆されている。伊藤博之は、クリシュナマチャーリヤは西洋身体文化から発生した多様な体操法を自らのヨーガ・クラスに取り入れ西洋式体操インド伝統のハタ・ヨーガ技法として仕立て上げたとしている。クリシュナマチャーリヤはマイソール宮殿働き始めた年にクヴァラヤーナンダのカイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所視察しているが、この時すでにクヴァラヤーナンダの「ヨーガ体育」の教育プログラム連合州に広まっていた。現代ヨーガアーサナ体操起源について研究行ったマーク・シングルトンは、そこでクリシュナマチャーリヤはヨーガベースにした体育教育について教唆を受け、自分ヨーガ指導応用したではないか考察している。アーサナ取り入れたインド国産の(その実欧米体操などの影響強く受けている)身体訓練は、1920年代以降全国的に広まっていた。シングルトンは、クリシュナマチャーリヤが1930年代以降教えたマイソール・スタイルのヨーガもその流れ乗ったもので、当時インド国産エクササイズとして広まっていた体育教育法ヴァリエーションであった指摘している。また、クリシュナマチャーリヤは思想面にヴィヴェーカーナンダなどのヒンドゥー復興運動思想と『ヨーガ・スートラ』を援用した。ヴィヴェーカーナンダハタ・ヨーガ身体鍛錬軽んじるどころか否定した一方、『ヨーガ・スートラ』をハタ・ヨーガ教典よりも権威あるものとみなしたクリシュナマチャーリヤも、『ヨーガ・スートラ』には書かれていない浄化法(シャトカルマ)のような伝統的なハタ・ヨーガ技法軽視してほとんど教えなかったが、アーサナ体操については『ヨーガ・スートラ』に基づくものとしてこれを正当化した。クリシュナマチャーリヤはハタ・ヨーガ古典にはない、近代ヨーガ体位であるシールシャーサナ(英語版)(頭立ちのポーズ)やサルヴァンガーサナ(英語版)(肩立ちのポーズ)に重点置いた張本人といわれ、現代のほとんどのヨーガ教師は(クリシュナマチャーリヤとは直接関係のないシヴァーナンダなどの系統人々含めて直接的間接的に彼の教え一部から影響受けているといわれる。 クリシュナマチャーリヤは1924年から死去する1989年までヨーガ指導したアーサナ中心とした現代ヨーガは、直接または間接的にクリシュナマチャーリヤの影響受けているものが多い。彼が1930年代から20年ほどの間にマイソール教えていた激し体操的なヨーガスタイルからは、躍動的なヨーガ知られるアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ(英語版)が生まれ1990年代以降北米盛んなパワー・ヨーガなどもその派生である。 欧米ヨーガ広めた著名な弟子には、上記のアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガの創始者パッタビ・ジョイス(英語: K. Pattabhi Jois)、正姿勢補助道具特徴B・K・S・アイヤンガール、インドラ・デーヴィー (en:Indra Devi)、クリシュナマチャーリヤの子でヴィニヨーガ (en: Viniyoga) の創始者T・K・V・デーシカーチャール (en:T. K. V. Desikachar) が挙げられるT・K・V・デーシカーチャールは、クリシュナマチャーリヤから継承したヨーガ広めるため、チェンナイにクリシュナマチャーリヤ・ヨーガ・マンディラムを創立したリシケーシュ のシヴァーナンダ(英語: Sivananda Saraswati)(1887年 - 1963年)と彼の多数弟子たちも、影響力のある大きな流れ形成した。シヴァーナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター (en:Sivananda Yoga Vedanta Centres) を創立したヴィシュヌデーヴァーナンダ(英語: Swami Vishnu-devananda)、ビハール・ヨーガ学校 (en:Bihar School of Yoga) を創立したサティヤーナンダ(英語: Satyananda Saraswati)、インテグラル・ヨーガの創始者サッチダーナンダ(英語: Swami Satchidananda)など著名な指導者輩出した。 パラマハンサ・ヨーガーナンダの弟でボディビルダーB・Cゴーシュドイツ語版) (Bishnu Charan Ghosh) も、1930年代以降体操ボディビルディング融合させたヨーガ広めた人物である。彼は1923年コルカタ身体教育学校を開きボディビルディング指導した世界的に商業展開しているビクラム・チョードリーのビクラム・ヨーガは、自身ゴーシュ学校教わった運動競技的なアーサナから派生したのである

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