現代のハタ・ヨーガ
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今日、さまざまな体位法(アーサナ)に重点を置くハタ・ヨーガが世界的に広まっているが、これは浄化法やムドラー、プラーナーヤーマを重視する古典的なハタ・ヨーガとは別物である。宗教社会学者の伊藤雅之は、現在実践されているアーサナの大半は、19世紀後半から20世紀前半に西洋で発達した身体文化(キリスト教を伝道するYMCAやイギリス陸軍によってインドに輸入された)を強調する運動に由来すると述べている。伊藤は、現代のアーサナの起源は、西洋式体操法などの西洋身体文化が、インド独自の体系として、伝統的な「ハタ・ヨーガ」の名でまとめられたものであると述べており、現在のアーサナと、『ヨーガ・スートラ』に代表される伝統的な古典ヨーガや中世以降発展した(本来の)ハタ・ヨーガとのつながりは極めて弱いと指摘している。 アーサナ偏重の現代ヨーガの基礎は20世紀前半に築かれた。19世紀のヨーロッパでは、精神だけでなく肉体を鍛えようとする「身体文化」が興隆した。20世紀に入ると、インドではその流れを受けて、国産のエクササイズを生み出そうとする動きが活発化した。近代ヨーガの立役者であるヴィヴェーカーナンダは19世紀末にハタ・ヨーガのアーサナに対して否定的な態度を取ったが、20世紀に入ってから体操的なものとして復興したアーサナ(実は、欧米の体操などの影響を強く受けている)は、パタンジャリすなわち『ヨーガ・スートラ』の伝統に基づくという解釈によって権威づけされた。その時代に身体文化としてのヨーガの推進に貢献した人物としては、ボンベイ(現ムンバイ)などで活躍したスワーミー・クヴァラヤーナンダ(英語版)(1883年 - 1966年)、シュリー・ヨーゲーンドラ(1897年 - 1989年)、1930-40年代にマイソールでヨーガを指導したティルマライ・クリシュナマチャーリヤ(英語版)(1888年 - 1989年)などが挙げられる。マニク・ラオに伝統的体育学と武闘術を学び、マーダヴァダースにヨーガを学んだクヴァラヤーナンダは、ヨーガを学問的に研究し、体育教育や病気治療に活用しようとした。彼は1924年にプネー近郊のローナヴァラにカイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所を創設し、ヨーガの研究と普及に努めた。 クリシュナマチャーリヤは現代ヨーガへの影響が大きい人物で、「現代ヨーガの父」とも呼ばれる。クリシュナマチャーリヤは1930年代にマイソールの藩王の宮殿でヨーガ教師の職を得て、ジャガンモハン宮殿内にヨーガ教室を開いた。当時マイソール藩王国を統治していたクリシュナ・ラージャ4世(1884年 - 1940年)は体育振興に熱心であり、クリシュナマチャーリヤが構築した体操的なアーサナのスタイルの背景には、1920~30年代のマイソールで振興が図られたさまざまな身体文化の要素があった。ノーマン・スジョーマンの研究では、マイソールの宮殿では王族が体操を実践していたと指摘され、マイソール・スタイルのヨーガの形成において宮殿にあった体操の教本が利用された可能性が示唆されている。伊藤博之は、クリシュナマチャーリヤは西洋の身体文化から発生した多様な体操法を自らのヨーガ・クラスに取り入れ、西洋式体操をインド伝統のハタ・ヨーガの技法として仕立て上げたとしている。クリシュナマチャーリヤはマイソールの宮殿で働き始めた年にクヴァラヤーナンダのカイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所を視察しているが、この時すでにクヴァラヤーナンダの「ヨーガ的体育」の教育プログラムは連合州に広まっていた。現代ヨーガのアーサナ体操の起源についての研究を行ったマーク・シングルトンは、そこでクリシュナマチャーリヤはヨーガをベースにした体育教育について教唆を受け、自分のヨーガ指導に応用したのではないかと考察している。アーサナを取り入れたインド国産の(その実、欧米の体操などの影響を強く受けている)身体訓練は、1920年代以降全国的に広まっていた。シングルトンは、クリシュナマチャーリヤが1930年代以降に教えたマイソール・スタイルのヨーガもその流れに乗ったもので、当時インドで国産のエクササイズとして広まっていた体育教育法のヴァリエーションであったと指摘している。また、クリシュナマチャーリヤは思想面にヴィヴェーカーナンダなどのヒンドゥー復興運動の思想と『ヨーガ・スートラ』を援用した。ヴィヴェーカーナンダはハタ・ヨーガの身体鍛錬を軽んじるどころか否定した。一方、『ヨーガ・スートラ』をハタ・ヨーガの教典よりも権威あるものとみなしたクリシュナマチャーリヤも、『ヨーガ・スートラ』には書かれていない浄化法(シャトカルマ)のような伝統的なハタ・ヨーガ技法は軽視してほとんど教えなかったが、アーサナ体操については『ヨーガ・スートラ』に基づくものとしてこれを正当化した。クリシュナマチャーリヤはハタ・ヨーガの古典にはない、近代ヨーガの体位であるシールシャーサナ(英語版)(頭立ちのポーズ)やサルヴァンガーサナ(英語版)(肩立ちのポーズ)に重点を置いた張本人といわれ、現代のほとんどのヨーガ教師は(クリシュナマチャーリヤとは直接関係のないシヴァーナンダなどの系統の人々も含めて)直接的・間接的に彼の教えの一部から影響を受けているといわれる。 クリシュナマチャーリヤは1924年から死去する1989年までヨーガを指導した。アーサナを中心とした現代のヨーガは、直接または間接的にクリシュナマチャーリヤの影響を受けているものが多い。彼が1930年代から20年ほどの間にマイソールで教えていた激しい体操的なヨーガのスタイルからは、躍動的なヨーガで知られるアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ(英語版)が生まれ、1990年代以降の北米で盛んなパワー・ヨーガなどもその派生である。 欧米にヨーガを広めた著名な弟子には、上記のアシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガの創始者パッタビ・ジョイス(英語: K. Pattabhi Jois)、正姿勢と補助道具が特徴のB・K・S・アイヤンガール、インドラ・デーヴィー (en:Indra Devi)、クリシュナマチャーリヤの子でヴィニヨーガ (en: Viniyoga) の創始者T・K・V・デーシカーチャール (en:T. K. V. Desikachar) が挙げられる。T・K・V・デーシカーチャールは、クリシュナマチャーリヤから継承したヨーガを広めるため、チェンナイにクリシュナマチャーリヤ・ヨーガ・マンディラムを創立した。 リシケーシュ のシヴァーナンダ(英語: Sivananda Saraswati)(1887年 - 1963年)と彼の多数の弟子たちも、影響力のある大きな流れを形成した。シヴァーナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター (en:Sivananda Yoga Vedanta Centres) を創立したヴィシュヌデーヴァーナンダ(英語: Swami Vishnu-devananda)、ビハール・ヨーガ学校 (en:Bihar School of Yoga) を創立したサティヤーナンダ(英語: Satyananda Saraswati)、インテグラル・ヨーガの創始者サッチダーナンダ(英語: Swami Satchidananda)など著名な指導者を輩出した。 パラマハンサ・ヨーガーナンダの弟でボディビルダーのB・C・ゴーシュ(ドイツ語版) (Bishnu Charan Ghosh) も、1930年代以降に体操やボディビルディングを融合させたヨーガを広めた人物である。彼は1923年にコルカタで身体教育学校を開き、ボディビルディングを指導した。世界的に商業展開しているビクラム・チョードリーのビクラム・ヨーガは、自身がゴーシュの学校で教わった運動競技的なアーサナから派生したものである。
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