特別法廷設立の経緯とは? わかりやすく解説

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特別法廷設立の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 01:27 UTC 版)

カンボジア特別法廷」の記事における「特別法廷設立の経緯」の解説

イエン・サリへの恩赦や、ポル・ポト死亡タ・モク逮捕は、クメール・ルージュ指導者法的責任追及すべきではないかとの議論巻き起こすこととなったまた、1996年トマス・ハマーベリカンボジア人権問題に関する国連事務総長特別代表任命され、同代表も法的責任追及向けて取り組んだその結果国連人権委員会は、1997年4月11日コフィー・アナン事務総長対し、「過去重大なカンボジア法・国際法違反対処するためカンボジアから支援の要請があったときは、これを検討すること」を要請する決議採択した1997年6月24日ノロドム・ラナリット第1首相フンシンペック党)とフン・セン第2首相カンボジア人民党)は、アナン事務総長宛に連名で「1975年から1979年までのクメール・ルージュ支配の間に行われたジェノサイド及び人道に対する罪責任有する者を裁くため、国連及び国際社会支援求める」旨の書簡送付しその中でカンボジア裁判実行するための資源専門家有していない旨を述べた国連支援依頼書簡送った直後1997年7月フン・センクーデターにより第1首相ラナリット排除し実権握った1997年12月国連総会はこの要請について、専門家グループ派遣可能性含め事務総長対し検討するよう求め決議採択した。これを受けて事務総長は3名の専門家グループ任命した専門家グループは、カンボジア訪問するなど調査の上1999年2月22日国際法上国内法上の重大な犯罪存在認められクメール・ルージュ指導者に対す法的手続実施正当化する足り証拠存在するとの報告書提出した。そして、その中で安保理又は総会の下に、特定目的国際法廷設置すべきである勧告した。 これに対してカンボジア政府は、1999年3月3日事務総長宛書簡で、カンボジアの平和と国民和解必要性考慮に入れるべきであり、やり方間違えば民主カンプチア将官らにパニック引き起こし再度内戦つながりかねない警告しその後事務総長との会談でも、タ・モクについて国内法廷で裁くことを主張した一方事務総長側は、司法最低限国際水準確保できるかや、裁判対象者限定することについて懸念示した2001年8月カンボジア国議会は、民主カンプチア時代行われた犯罪訴追に関するカンボジア裁判所内の特別法廷設置法(以下「特別法廷設置法」)を制定した8月10日公布)。同法によれば特別法廷国内法廷の特別部とされる一方国連への妥協結果として第一審カンボジア人判事3人と国際判2人構成されることとなった。しかし、司法国際水準確保求め国連側の懸念残った。特に、投降時に恩赦受けたクメール・ルージュ指導者裁判にかけることについては、フン・セン首相内戦再発につながるとして否定的なコメント出し、主要指導者訴追されないなら支援打ち切るとする国連側との対立残ったその後国連カンボジア間で締結される協定国内法との優劣関係や、対人管轄範囲などをめぐって国連カンボジアとの交渉難航し国連は、2002年2月8日、「このままでは国連求め独立・公平・客観性保証されない」として、カンボジアとの交渉打ち切る声明発表した。 しかし、日本フランス等の関係諸国交渉再開向けて外交交渉行った結果国連総会は、2002年11月20日委員会で、事務総長対し交渉再開求め決議採択した。これを受けて2003年1月交渉再開され同年3月国連カンボジア政府との合意内容明記され草案作成された。同年5月13日国連総会もこれを承認する決議採択した。 そして、2003年6月6日民主カンプチア時代行われた犯罪カンボジア法の下における訴追に関する国際連合カンボジア王国政府との協定(以下「協定」)が締結され閣僚評議会担当相のソック・アン(英語版)と国連代理弁護士のハンス・コレル(英語版)との間で調印が行われた。協定では、「1975年4月17日から1979年1月6日までに行われたカンボジア刑事法国際人道法慣習及びカンボジアによって承認され国際条約についての犯罪及び重大な違反」について、「民主カンプチアの上指導者及び最も責任有する者」を本特別法廷管轄とし、第一審裁判部カンボジア人判事3人と国際判2人、最高審裁判部カンボジア人判事4人と国際判事3人で構成されることなどが合意された。最高刑は終身禁錮とされた。 その後カンボジア国内において協定承認するとともに特別法廷設置法をこれに整合するように改正する必要があったが、2003年7月総選挙後与野党対立から1年以上議会開かれず、2004年8月、ようやく議会開会して審議が行われた。そして、カンボジア国議会は、同年10月国連との協定承認するとともに、それに沿うように、特別法廷設置法改正した改正の要点は、 三審制から二審制への変更 特別法廷設置法協定との関係について、設置法優位に置くことを前提に、協定国内法としての効力与えること 被告人等の権利保障に関する規定改正 カンボジア法の解釈適用不明確な点がある場合や、国際基準との整合性問題生じた場合に、国際的に確立され手続規則ガイダンスとして使用されるとの協定沿った改正 設置法制定前与えられることとされていた恩赦 (amnesty)・大赦 (pardon) の範囲は、特別法廷決定する事項とすること である。 改正法反対票なしで国民議会下院)を通過した日、フン・セン首相は、記者に「我々が待っていたもの今日達成された」と述べた2005年4月までに、日本2100ドルはじめとして各国から3800ドル資金拠出表明され資金面でも裁判準備整った

※この「特別法廷設立の経緯」の解説は、「カンボジア特別法廷」の解説の一部です。
「特別法廷設立の経緯」を含む「カンボジア特別法廷」の記事については、「カンボジア特別法廷」の概要を参照ください。

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