特別法廷の設置及び有罪宣告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 14:43 UTC 版)
「イッセン・ハブレ」の記事における「特別法廷の設置及び有罪宣告」の解説
ハブレはその後、民族浄化・人道に対する罪と戦争犯罪により、EUやヒューマン・ライツ・ウォッチ(ハブレのあまりの残虐ぶりにヒューマン・ライツ・ウォッチなどは彼のことを「アフリカのピノチェト」と呼んでいる)により国際法廷への引渡しが要請され、2006年に引渡しが決定した。しかし、ハブレの亡命受け入れ国のセネガル政府は引渡しを拒否しており、国際司法裁判所は、2009年2月、セネガルの対応が「国際法を破っている」として非難した。 2008年にはチャドの裁判所により、欠席裁判で「国民に対する犯罪」の容疑で死刑判決を受けた。 2011年にはセネガル政府により突然チャドへの身柄送還が発表されるが、彼の復権に伴う混乱を恐れた国連の依頼により身柄送還は中止された。 2012年7月に国際司法裁判所はセネガル政府に対して迅速にハブレの裁判を行うか、ベルギーに身柄を移送するよう命令を下した。 その一か月後にセネガル政府とアフリカ連合はハブレを裁くための特別法廷を設けることに同意し、2016年5月30日に特別法廷はハブレに有罪を宣告し、人道に対する罪(レイプ、性的奴隷、1982年から1990年にかけてのハブレ政権下での4万人の反体制派への虐殺指示、20万人の反体制派への残虐な弾圧)により無期懲役の判決を言い渡した。これはアフリカ大陸で他の国の元指導者が有罪を宣告された初のケースであった。同年7月29日には被害者へ賠償金を支払うことを命じる判決が下され、金額は一人あたりで最高2000万CFAフラン(約340万円)と定められた。 2021年8月24日、セネガルの首都ダカールの病院にて死亡したことが発表された。79歳没。死因は新型コロナウイルス感染だった。
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