法典実施延期意見
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1892年(明治25年)4月、土方寧(英吉利法律学校創立者)「民法証拠編ノ欠点」は証拠編の法理的欠点および国情無視を批判、奥田義人「人事編ノ抵触及ヒ重複」は人事編の錯雑不統一を批判(法学新報13号)。 この頃法典論争はピークに達し、延期派の高橋健三を断行派の壮士が狙撃する噂が流れた。一方で、陸羯南の『日本』は、世人の無関心を指摘している(4月7日)。 多数派工作のために延期派が人事編批判に力を入れたのはこの時期の特徴だが、それだけが延期論だとの印象を後世に与えることになった。 5月、『法学新報』の社説に「法典実施延期意見」が発表される。4月頃から全国各地の名士に配布して世論喚起を図っていたもので、東京日日新聞も全文を掲載している。 延期派の江木衷、高橋健三、穂積八束、松野貞一郎、土方寧、伊藤悌治、朝倉外茂鉄、中橋徳五郎、奥田義人、岡村輝彦、山田喜之助が連名し、激烈な論調で法典大修正のための延期を主張したもので、延期派の最も代表的な論説である(星野、福島)。花井卓蔵の証言によれば起草者は江木。穂積八束が中心との推測もあるが詳細不明。 (一)新法典は倫常を壊乱す (二)新法典は憲法上の命令権を減縮す (三)…予算の原理に違う (四)…国家思想を欠く (五)…社会の経済を攪乱す (六)…税法の根拠を変動す (七)…威力を以て学理を強行す 一は、主に人事編がキリスト教的個人主義に過ぎるとするものだが、星野、遠山茂樹が正鵠を得たものと高く評価する(五)は次のように述べる。 欧州中世の封建制度破れて商工業の自由興り優勝劣敗の盛伏を呈するや器械製造の業大に起り、大工大売の跋扈至らざる所なきに反して小資本家は漸く其業を浸奪せられ、個人主義の法律に依りて自由を得るも同時に其食を奪はるるの惨域に陥れり。是に於て…中等以下の人民にして封建制度の復古を絶叫せしむるに至れり。吾人は固より世の風潮に逆て封建政略を復活せしめ以て貧富知愚を均一せんと欲するものに非ずと雖も欧州今日の患難を鑑みて我国…制法の際大に斟酌を加ふべきを知るなり。 我立法者の模範とせる羅馬法は古羅馬の小市府に於けるの法律なり。…我国の社会は大に之に反し、古来農を以て建国の基本とせり。…市府の法を以て地方村落に適用せんとするは素より其当を得べからず。 — 新法典ハ社会ノ経済ヲ攪乱ス 旧商法批判も挙がっており(商業帳簿、破産法など)、要するに、両法典は経済的強者の保護に偏り、日本の大多数を占める農民や誠実な小商人などの生活に適応せず、かつ忠孝信義の倫理に背くという批判である。世論を延期派に傾けることに大の効果があったと言われる。一方で、東京法学院関係者ながら増島六一郎(初代院長)、菊池武夫(二代目)、穂積陳重は署名せず、英法派・延期派の総意ではないことも指摘されている。 主執筆者の江木は内務大臣の秘書官でありながら反政府運動の急先鋒であり、「法典実施延期意見」の公表に当たっては、井上馨に宛てて「此意見書に依り免職せらるるとも刑に処せられるるとも小生共之本望に有之」との強い決意を表明(翌年退職)。 後の大逆事件に際しても刑訴法の陪審制不採用による恣意的事実認定が原因と主張しており、単なる保守派と片付けられない側面が指摘されている。
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