法典制定前の民法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
当時の日本が無法状態だったわけではなく、大政奉還直後も明治の裁判所は幕府や各藩の法を暫定的に適用。以後様々な法令が制定・改正されており、一部は民法典や特別法にも継承された。成文法が無い場合は慣習により、慣習も無い場合は条理に依る(明治8年太政官布告第103号裁判事務心得3条)。 民法施行前にはどうして裁判をして居ったか…私も大学を出てすぐ4年間裁判所に居った経験から観ても、所謂裁判法・判例法と云ふものが自づから在った。…前に判決例がなければ斯うであるべきだと云った考へで裁判をしたものです。…英法をやった人もあれば、フランス法をやった人もある。然らば英法又は仏法の思想かと云ふと必ずしもさうではない…自から裁判所の考方と云ふものがあった。尤も大体にはフランス法の思想が行はれたと思ふのです。それは司法省の法学校を出た連中が相当に裁判所に入って居たからでしゃう。世の中が幼稚で法律生活が単純でありますから、難しい問題は起らぬと言って良い位ですから夫(それ)で済んだのです。只人事上の問題に就ては従来の慣例があるからそれに依って居った。 — 仁井田益太郎(明治民法起草補助委員)「仁井田博士に民法典編纂事情を聴く座談会」1938年(昭和13年) この非法典時代の裁判実務を悲観視する立場からは、法典断行論に結び付くことになる。
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