森監督時代とは? わかりやすく解説

森監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:36 UTC 版)

埼玉西武ライオンズ」の記事における「森監督時代」の解説

この時期投打ともに戦力秋山幸二オレステス・デストラーデ清原和博石毛宏典伊東勤辻発彦平野謙田辺徳雄、バークレオ、安部理など)がそろい、特に渡辺久信最多勝利1986年、1988年1990年勝率第1位1986年)、郭泰源シーズンMVP1991年、勝率第1位1988年1994年)、工藤公康シーズンMVP1993年、勝率第1位1987年1991年1993年)、石井丈裕シーズンMVP勝率第1位、沢村賞1992年)、渡辺智男最優秀防御率1991年)、鹿取義隆最優秀救援投手1990年)などを擁した投手陣や、AK砲呼ばれた秋山・清原の打力光り任期1986年から1994年には、1989年を除くすべての年でリーグ優勝し、また1992年までリーグ優勝した年には必ず日本一にもなり、「西武黄金時代」 を築いた1986年 ドラフト1位入団した清原和博らの活躍近鉄とのデッドヒート制し2年連続リーグ優勝を果たす。日本シリーズでは広島東洋カープ対戦するが、第1戦で引き分け3連敗とした後、第5戦から日本シリーズ史上初の第8戦までの4連勝逆転勝利3年ぶりの日本一に輝く。永射、片平大洋トレードとなり、大田卓司引退8月5日球団事務所現在の西武ライオンズ球場敷地内移転した球団諸施設事務所本拠地球場練習場合宿所)が全て埼玉県所沢市上山口集まった会社登記上本店は引き続きサンシャイン60同地に残る)。 1987年 秋山外野へ、石毛三塁コンバート序盤清原不振、辻や渡辺など故障続出苦戦するが、徐々に盛り返して8月首位阪急逆転3年連続リーグ優勝果たした阪急山田久志同年オールスター休み行われた落合博満との対談の中で、優勝行方を「自分と東尾勝利数の差が優勝行方左右する」との見解述べたが、この年15勝を挙げた東尾に対して山田は7勝にとどまり皮肉にも自身予想的中させる結果となった日本シリーズでは巨人対戦、4勝2敗で勝利し2年連続日本一。しかし、オフ東尾麻雀賭博容疑書類送検され、翌年6月まで出場停止処分となった1988年 開幕から謹慎東尾修抜けた穴が懸念されたが、開幕すると、工藤渡辺郭泰源松沼博久安定した投手陣に、この年より一軍出場のバークレオが加わった打線開幕から貯金重ねた29試合目で20勝、6月15日には貯金20したものの、皮肉にも東尾復帰して以降工藤らが不調、郭が故障するなど投手陣総崩れとなり、それでも6月には2位近鉄に8ゲーム差をつけ、9月入っても6ゲーム差をつけていたがそこから近鉄猛追撃を受けた9月13日近鉄勝利し、そこで西武優勝決まったかのように見えたが、西武はそこから10試合を4勝6敗として、9月29日には近鉄1.5ゲーム差詰められ10月5日にはゲーム差無し近鉄に並ばれるなど熾烈な優勝争いとなった西武終盤10試合を8勝2敗で乗り切り10月16日西武全日程を終了した時点では、近鉄残り4試合を3勝以上で近鉄優勝、2勝以下は西武優勝という状況だった。近鉄がそこから1勝1敗で、2連勝優勝絶対条件となった10月19日川崎球場でのロッテ近鉄ダブルヘッダー第2試合が4対4の引き分け終わったことにより、2厘差(ゲーム差なし)で西武4年連続リーグ優勝決定した日本シリーズでは4勝1敗で中日勝利し3年連続日本一となった2年目森山良二10勝で新人王東尾現役引退。 このシーズン昭和最後ペナントレースだったので、西武は「昭和最後パ・リーグ優勝日本一球団となった1989年 序盤から低迷し7月途中まで3連勝すらない状況であったシーズン中盤よりオレステス・デストラーデ加入する後半戦巻き返し9月には首位に立つが10月12日近鉄とのダブルヘッダーラルフ・ブライアントに4打席連続本塁打打たれるなどして連敗したのが大きく響き近鉄優勝許しリーグ5連覇逃した結果優勝した近鉄勝率2厘(0.5ゲーム)差、2位オリックス勝率1厘差の3位終わった新人渡辺智男10勝と奮闘したオフ一軍作戦バッテリーコーチ黒田正宏ダイエー移り黒江透修一軍ヘッドコーチとして球団復帰1990年 3年連続最多セーブ数が一桁だった反省生かしリリーフ陣の強化図った巨人から鹿取義隆ドラフト潮崎哲也獲得。この2人リリーフ陣を支え序盤から首位独走6月に8連敗した以外は安定感ある戦いで2位オリックス12ゲーム差をつけてリーグ優勝奪回し日本シリーズでは巨人を4連勝破り2年ぶりの日本一達成したデストラーデ本塁打打点の2冠、秋山盗塁王渡辺久最多勝近鉄野茂同時)となる。 1991年 開幕から8連勝果たした序盤首位独走するが、中盤からは調子上げてきた近鉄との一騎討ちとなった。しかし、9月12連勝して近鉄突き放し2年連続リーグ優勝を飾る。日本ハム所属していた若菜嘉晴現役引退した若菜引退により、西鉄ライオンズ所属した選手全員引退した日本シリーズでは山本浩二監督率い広島対戦し先に2勝3敗で王手かけられるも、第6・7戦で勝利し4勝3敗、逆転広島破って2年連続日本一。郭はMVPデストラーデ2年連続本塁打打点の2冠、渡辺智が最優秀防御率受賞1992年 6月近鉄抜いて首位に出るとそのまま独走し3年連続リーグ優勝日本シリーズでも野村克也監督率いヤクルトを4勝3敗で破り3年連続日本一輝いた日本シリーズでも活躍した石井丈裕15勝を挙げてMVPデストラーデ3年連続本塁打王管理部長の根本陸夫ダイエー監督就任のため退団1993年 デストラーデメジャー復帰のため退団攻撃力低下懸念されたものの、日本ハムとの争い制して4年連続リーグ優勝、しかし日本シリーズではヤクルトに3勝4敗で敗れたシリーズ終了後福岡ダイエーホークス秋山幸二渡辺智、内山智之佐々木誠橋本武広村田勝喜による3対3交換トレード成立するまた、この年からそれまで禁止されていた所属選手CM出演解禁となり、その第1弾として清原エースコックスーパーカップCM起用された。 1994年 オリックス近鉄ダイエーとの優勝争いになるが西武9月抜け出すそのままリーグ優勝、パ新記録リーグ5連覇果たした。しかし、日本シリーズでは巨人に2勝4敗で敗れ2年連続シリーズ敗退監督この年限り勇退した。

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