東京対東北・北海道間の連絡輸送列車として
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「はつかり (列車)」の記事における「東京対東北・北海道間の連絡輸送列車として」の解説
はつかり(1982年以前)概要国 日本 種類特別急行列車 現況廃止 地域青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、埼玉県、栃木県、東京都 運行開始1958年10月1日 運行終了1982年11月14日 後継特急「ゆうづる」、「はくつる」、「北斗星」、「カシオペア」急行「十和田」、「八甲田」(いずれも現存しない)→ 新幹線「やまびこ」、「はやぶさ」、「はやて」 旧運営者日本国有鉄道(国鉄) 路線起点上野駅 終点青森駅 使用路線国鉄・常磐線・東北本線(1958年10月1日 - 1968年10月30日) 国鉄・東北本線(1968年11月1日 - 1982年11月4日) 車内サービスクラス普通車、グリーン車 座席普通席、自由席、グリーン席 技術車両583系電車、485系電車、キハ81系、国鉄43系客車、C61、C62蒸気機関車など 軌間1,067 mm (3 ft 6 in) 電化直流1,500V(上野 - 黒磯間) 交流20,000 V・50Hz(黒磯 - 青森間) テンプレートを表示 1958年(昭和33年)10月1日:ダイヤ改正により上野駅 - 青森駅間(常磐線経由)で「はつかり」(1・2列車)が運転開始。しかし、首都圏でも大規模な浸水被害を起こした狩野川台風の影響で実際の運行開始は10日からとなった。所要時間は上下ともに12時間ちょうど。青森駅では下りが深夜に到着、上りが早朝に出発し、いずれも青函連絡船の夜行便を経由して北海道内の急行列車に接続するダイヤが確立。列車番号ではトップナンバーの「1レ・2レ」が与えられる。 1960年(昭和35年)12月10日:「はつかり」使用車両を新開発のキハ81系気動車に置換え。日本初の気動車特急列車となったが、当初は習熟運転と称し客車時代のダイヤで運転された。しかし、十分な試験走行を行わずに運転を開始したため初期故障が続発。新聞には「はつかりがっかり事故ばっかり」などと書き立てられた。列車番号は「1D・2D」に変更。 1961年(昭和36年)3月1日:「はつかり」は所要時間を10時間45分に短縮し、同年10月にはさらに短縮し所要時間は10時間25分になる。 1963年(昭和38年)4月20日 「はつかり」が10両編成になる。 1968年(昭和43年)9月9日:ダイヤ改正に先立ち、下り上野発「はつかり」から青森運転所(現在の青森車両センター)の583系電車に置き換え。上り「はつかり」は翌10日に置き換え。 10月1日:東北本線全線の電化にあわせたヨンサントオのダイヤ改正により、「はつかり」は東北本線経由に変更し所要時間が8時間30分に短縮。増発して2往復になる。この時、下り2号・上り1号となった従来の運行時間帯の列車は増発列車とは全く別扱いで引き続きトップナンバーの「1M・2M」となり、その後の増発時でも変えられず、盛岡以南の運転終了まで継続される。 1970年(昭和45年)8月:旧盆時期の急増する帰省客へ対応するための臨時列車として、「はつかり」51号が常磐線経由で運転される。 10月1日:ダイヤ改正により、「八甲田」の1往復が「はつかり」に格上げ。「はつかり」は1往復増発されて3往復になる。 1972年(昭和47年)3月15日:1往復が東京駅に乗入れ開始。 1973年(昭和48年)3月1日:臨時列車の「はつかり」が1往復増発されて4往復になる。青森運転所の485系電車が使用開始。 4月1日:東北・上越新幹線建設工事に伴う東京駅 - 上野駅間の回送線使用停止措置により、東京乗入れが中止。 10月1日:「はつかり」が1往復増発され、臨時列車も定期列車化されて、5往復になる。 1978年(昭和53年)10月2日:ゴーサントオと呼ばれるダイヤ改正に伴い、「はつかり」が「やまびこ」を青森まで延長する形で1往復増発され、6往復になる。普通車自由席を設置し、「はつかり」はエル特急に指定される。485系のグリーン車の連結位置を2号車から6号車に変更。 1979年(昭和54年)10月1日:583系のグリーン車の連結位置を2号車から6号車に変更。 キハ80系「はつかり」 1960 - 1968年 485系「ひばり」(手前)と583系「はつかり」(奥)
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