本格小説家への夢――途絶とは? わかりやすく解説

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本格小説家への夢――途絶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「本格小説家への夢――途絶」の解説

11月下旬病状が重い中、「のんきな患者」の執筆懸命に取り組んだ次郎だが、思うようにならず、12月2日に、冒頭から書き直して9日夕方完成させ、母の校正10日深夜2時にやっと清書出来た。弟・勇はそれを持ってオートバイ大阪中央郵便局まで飛ばし航空便東京中央公論社送った中旬執筆転居の無理がたたり、基次郎カンフル注射酸素吸入看護され病床生活になったひと足先に20日新年号が基次郎元に届き24日原稿料230円が送金されてきた。これが基次郎初めて手にした「原稿料であった。基次郎は母に金時計買ってやると言ったが、「そんなピカピカしたものはいらん」と母は遠慮した歳末には母と大阪丸善に出かけて、その原稿料で弟の嫁の3姉妹(豊子・光子雅子)にショール自分にはオノト万年筆買った。この月、基次郎は『作品』からの依頼原稿のため、草稿温泉」に取りかかっていた。 1932年昭和7年1月、「のんきな患者」が『中央公論新年号に発表された。この作品は、正宗白鳥が『東京朝日新聞』で褒め直木三十五が『読売新聞』の文芸時評取上げシャッポをぬいだ」と評して好調であった。しかし7日体調すぐれない次郎は『作品編集部宛て約束果たせないかもしれないと書いた。中旬、母は基次郎一緒に落ちついて暮らせる家を住之江区北島姫松田辺方面探した絶対安静の床で基次郎は、「のんきな患者」の続篇考えていた。 早く起きて小説書き度いです、小説のことを考へると昂奮して寝られなくなるので困りました、それがこの頃段々よくなつて来てからは別にさうも考へず夜も昼もよく寝ます、こんどはあれの続きのやうなものをやはり書き度いのです、「のんきな患者」が「のんきな患者」でゐられなくなるとこまで書いてあの題材大きく完成したいのですが。それが出来たら僕の一つ仕事といへませう。 — 梶井基次郎飯島正宛て書簡」(昭和7年1月31日付) 2月小林秀雄が『中央公論』で「檸檬」をはじめとした基次郎作品賞讃した。しかし基次郎嬉しいながらも、小林が「のんきな患者」を論じていなかったことが少し心残りであった病床森鷗外史伝歴史文学親しんでいた基次郎だが、次々と友人らが見舞い来ても、胸の苦しみであまりしゃべれず、次第に本を読むこともできなくなってきた。下旬往診医師から心臓嚢炎と診断されて胸を氷で冷やした3月3日一時気分がよくなり頭を洗ったり、髭を剃ったりするが、母は往診医師の家に行き今度浮腫出たらもう永く持たない警告され絶望しながらも覚悟決めた滋養のあるバター刺身肉類飽きた次郎のため、母は旬の野菜西瓜奈良漬など欲しがるものを食べさせたが、この頃から基次郎は噛むことも辛くなり流動食になった次第様態悪化し12日から13日、基次郎狂人のように肺結核苦しみ酸素ボンベ吸入をしてやっと眠った17日午後2時頃起きると顔が2倍になるほど浮腫がひどく出て、手も腫れていた。基次郎手鏡確かめたがったが、見ない方がいいと言う母に素直に従った食欲なくなり、この日で基次郎日記途絶えたこの頃から兄や姉を家に呼んでほしいと寂しさ訴え19日には、別宅にいる弟・勇と良吉を枕元呼んで手を握らせた20日には京都帝大工学部入学発表から帰った良吉の勇ましい下駄の音で、「良ちゃん試験よかったな」と呟き、声を上げて泣く弟を笑顔祝福した21日には、ひどい浮腫の手当をする医者に「もうだめでしょう」と何度も訊ね22日は朝から激し苦痛で、夜半に母が呼んだ派遣看護婦の荒い応対が気に入らず、「帰して仕舞へ」と言い張った23日、基次郎は朝から苦しみ、姉に会いたがり、肝臓の痛み訴えた医者投薬注射うつらうつらの状態の夜、基次郎頓服要求し、勇がやっとのことで求めてきた飲んだ酸素吸入も効かずに激しく苦しむ基次郎に母は、「まだ悟り言ふものが残つてゐる。若し幸いして悟れたら其の苦痛無くなるだらう」と諭した。 基次郎は死を覚悟し、「悟りました。私も男です。死ぬなら立派に死にます」と合掌し、弟に無理を言ったことを詫びて目を閉じた。その頬にひとすじの涙をつたうのを勇の嫁・豊子は見ていた。夕刻前に次郎意識不明となり、家族見守る中、24日深夜2時に永眠した31歳没。奈良県高市郡飛鳥村(現・明日香村)の唯称寺僧職・順誠になっていた異母弟網干順三が駆けつけ通夜読経した。 遺言により詰められ上部草花飾られた。戒名は「泰山院基道居士」。25日午後2時から王子町2丁目13番地の自宅告別式が行われ、15時出棺した。阿倍野葬儀場荼毘付され遺骨は、南区中寺町(現・中央区中寺常国寺2丁目にある菩提寺日蓮宗常国寺梶井家代々の墓に納められた。

※この「本格小説家への夢――途絶」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「本格小説家への夢――途絶」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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