朝鮮民主主義人民共和国時代
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「朝鮮民主主義人民共和国の鉱業」の記事における「朝鮮民主主義人民共和国時代」の解説
「朝鮮民主主義人民共和国の経済史」も参照 第二次世界大戦が1945年に終戦すると、朝鮮半島北部はソビエト連邦軍が占領した。1946年8月には軍政下の北朝鮮臨時人民委員会によって重要産業国有化法令が公布され、同地域の鉱山や鉄道など主要な産業施設が無償で国有化されている。 その後、1950年から1953年まで続いた朝鮮戦争によって、北朝鮮では膨大な人的および物的損失が生じた。この間に人口は962万人から849万人まで減少し、鉱工業および電力生産は60 - 70%も減少している。この状況下で金日成らは1954年から戦後復興3ヵ年計画を設定し、日本統治時代と同様に豊富な地下資源を利用した重工業優先の経済政策を打ち出し、社会主義諸国からの支援を製鉄所や発電所などに重点配分した。 1970年時点で北朝鮮の国民1人当たりGNPは286ドルと、同年の韓国の203ドルを上回っていたが、労働力の不足を過剰労働によって補う増産運動は限界に達し、停滞を迎えていた。韓国経済の急成長に焦りを感じた北朝鮮は、1970年代に入ると日本や西欧諸国から工業プラントの導入を図ったが、オイルショックの影響で主要な輸出品目の亜鉛など非鉄金属の価格が下落し、外貨による返済が滞って後年まで西側諸国との貿易に禍根を残した。 中国の改革開放を参考にした合弁法の制定など1980年代の経済政策は目立った効果を生まず、1980年代後半にはソ連など東側諸国との経済協力に対する依存が大きく高まっていた。このような状況下で社会主義経済圏が崩壊したため、1990年代に入るとソ連からバーター貿易で入手していた原油やコークスなどが確保できなくなり、北朝鮮の経済は大きく後退する。外貨不足から投資が不振になり、設備が老朽化して品質が低下し、輸出と外貨獲得高が減少する、という悪循環によって石炭をはじめとする鉱物の生産量も減少し、1998年には多くの品目で最低量を記録した。 その後、国際社会の支援もあって食糧事情が改善すると鉱山への労働力供給に余裕が生じ、中国からの鉱山開発投資を誘致したこともあって資本や設備にも改善が見られ、生産量は回復に転じた。また、政策的にも電力・石炭・金属・輸送をいわゆる先行部門と位置付け、炭鉱などに資源を優先的に配分するとともに、2000年代に入ると地下資源による外貨獲得を奨励し、中国など外国からの投資受け入れを拡大している。 これらの成果もあり、2013年の対中国輸出では総額29億2400万ドルのうち、無煙炭や鉄鉱石など鉱物資源が18億1500万ドルを占めている。また、対韓国の輸出においても2007年には鉱物資源だけで1億2800万ドルに達していたが、2010年の天安沈没事件を受けた韓国政府の報復措置によって投資や交易が途絶した。一方でこれらに先立つ2006年には、過剰な資源採取などを防止するため、鉛や亜鉛などを未加工の鉱石の状態で輸出する事を禁止する基本方針を打ち出している。多くの炭鉱や鉱山は設備の老朽化が進んでおり、2010年代に入っても鉱物資源の輸出は1980年代の水準を下回っている。
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