最寄貝塚
名称: | 最寄貝塚 |
ふりがな: | もよろかいづか |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 北海道 |
市区町村: | 網走市北一条東二丁目・北二条東二丁目 |
管理団体: | 網走市 |
指定年月日: | 1936.12.16(昭和11.12.16) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 昭和48.04.23 |
解説文: | 網走川ノ河口ナル左岸臺地ニ在リ主トシテ二重ノ層ヲ示シ層中ニ鳥獸魚骨ヲ包含シ又人骨ヲ存ス下層ノ人骨ハ瓶被リ屈葬ノ状態ニ發見セラレ土器石器、骨角器鐵器ヲ伴セリ、上層ノ人骨ハ伸葬ト認メラレ副葬品モ下葬ノモノト異リ文化ノ変遷ヲ見ルベキ遺跡トシテ重要ナリ又地域内ニ二十八個ノ穴居阯アリ S44-12-034[[最寄]もよろ]貝塚.txt: 北海道東北部の網走川の河口近く、オホーツク海沿岸の砂丘上にある遺跡である(昭和11年12月16日史跡指定)。戦時中海軍用地となったため、一部が解除(昭和16年11月20日一部指定解除)されているが、そのうちのオホーツク文化の竪穴住居跡の所在する個所を追加指定し、海岸寄りの、遺構・遺物が存在しない地域の一部の指定を解除した。 |
モヨロ貝塚
(最寄貝塚 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 14:35 UTC 版)

座標: 北緯44度1分30.0秒 東経144度16分3.7秒 / 北緯44.025000度 東経144.267694度
モヨロ貝塚(モヨロかいづか)は、北海道網走市北1条から北3条東2丁目にかけてあるオホーツク文化の代表的遺跡である。網走川河口左岸、オホーツク海のそばに位置する。国の史跡に指定されている(指定名称は最寄貝塚)[注 1]。本貝塚名は、当時のアイヌ人がモヨロ・コタンと呼んでいたことから、1918年(大正7年)に米村喜男衛によって付けられた。モヨロはアイヌ語で「入江の内、あるいは所」という意味[1]。
概要
本貝塚は、網走川河口の左岸(北岸)にあり、標高5メートルの砂丘台地に立地する。編年的に日本の縄文時代晩期に並行する時期から建物が作られ、続縄文時代が続いた。さらにオホーツク文化に変わっても集落が営まれた。住居は竪穴建物で、死者は貝塚に埋葬された。
オホーツク文化の大型建物には、海獣、ヒグマなどの骨が丁寧に並べられていた。貝塚からは屈葬された人骨が多数見つかった。多数出土した物には骨角器、土器、石器があり、また本州で制作されたとみられる鉄の刀(直刀・蕨手刀・毛抜形太刀など)や鉾、大陸から持ち込まれたとみられる青銅の鈴などがあった。土器や骨角器にはクジラ・イルカ、クマの彫刻が見られる。牙で熊など動物をかたどった像があり、中には優れた造形の牙製女性像もある[注 2][1]。道具類の比重から海獣の狩猟に重点があったと推測されている。
発掘史
1913年(大正2年)に網走を訪れた青森県のアマチュア考古学研究者米村喜男衛が発見し、学界に報告した。発見した土器[注 3][2]から縄文文化ともアイヌ文化とも異なる文化の存在を知った米村は、網走に住むことを決めて米村理髪店を開業し、傍らで遺跡の調査と研究に携わった。
大正時代には、この遺跡の文化が北方的な独特のものであるということ以上はわからなかった。1933年(昭和8年)に、オホーツク海の南沿岸に広がるオホーツク沿岸文化が、同時代の北海道の文化と別個のものとみなされるようになった。今日いうオホーツク文化である。
遺物を保存・展示するために、1936年(昭和11年)に網走に北見郷土館(現 網走市立郷土博物館)が建てられた。モヨロ貝塚は同年12月16日に国の史跡に指定された[3][4]。1941年(昭和16年)・1942年(昭和17年)、海軍施設建設のため遺跡の一部が破壊され、緊急発掘を受けた。100体を超える人骨と多量の土器、石器、骨角器、金属器などが出土した。北海道大学医学部・大場利夫によって資料報告(『北方文化研究報告』北海道大学・1956年(昭和31年)および以降)されている[1]。
史跡指定時28棟確認されていた建物跡は、このため現在には約20棟に減った。戦後、1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)にかけて大規模な調査が実施された。平成期はじめの発掘調査で約80基ほどの墓が密集して発見され、また大麦はじめ多くの栽培植物の種子が見つかっている[2]。
現況


遺跡はモヨロ貝塚館を中心にした公園として整備されている。北見郷土館の後進である網走市立郷土博物館にも展示がある。2003年(平成15年)と2004年(平成16年)に発掘が行われ、土製のクマ像など多数の遺物が見つかった。
「モヨロ貝塚館」は建て替えられ、2013年(平成25年)5月1日に新館が開館した[5]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 米村喜男衛『モヨロ貝塚資料集』、網走市立郷土博物館・野村書店、1950年
- 駒井和愛編『オホーツク海沿岸・知床半島の遺跡 下巻』、東京大学文学部、1964年
- 米村衛『北辺の海の民 モヨロ貝塚』、新泉社、2004年、ISBN 4787704311
関連項目
外部リンク
- 網走市立郷土博物館友の会 - ウェイバックマシン(2010年1月1日アーカイブ分)
- モヨロ貝塚
- 最寄貝塚のページへのリンク