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最寄貝塚

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モヨロ貝塚

(最寄貝塚 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 14:35 UTC 版)

モヨロ貝塚(2010年4月)

座標: 北緯44度1分30.0秒 東経144度16分3.7秒 / 北緯44.025000度 東経144.267694度 / 44.025000; 144.267694

モヨロ貝塚

モヨロ貝塚(モヨロかいづか)は、北海道網走市北1条から北3条東2丁目にかけてあるオホーツク文化の代表的遺跡である。網走川河口左岸、オホーツク海のそばに位置する。国の史跡に指定されている(指定名称は最寄貝塚[注 1]。本貝塚名は、当時のアイヌ人がモヨロ・コタンと呼んでいたことから、1918年(大正7年)に米村喜男衛によって付けられた。モヨロはアイヌ語で「入江の内、あるいは所」という意味[1]

概要

本貝塚は、網走川河口の左岸(北岸)にあり、標高5メートルの砂丘台地に立地する。編年的に日本の縄文時代晩期に並行する時期から建物が作られ、続縄文時代が続いた。さらにオホーツク文化に変わっても集落が営まれた。住居竪穴建物で、死者は貝塚に埋葬された。

オホーツク文化の大型建物には、海獣ヒグマなどの骨が丁寧に並べられていた。貝塚からは屈葬された人骨が多数見つかった。多数出土した物には骨角器土器石器があり、また本州で制作されたとみられる直刀蕨手刀・毛抜形太刀など)や、大陸から持ち込まれたとみられる青銅などがあった。土器や骨角器にはクジライルカ、クマの彫刻が見られる。牙で熊など動物をかたどった像があり、中には優れた造形の牙製女性像もある[注 2][1]。道具類の比重から海獣の狩猟に重点があったと推測されている。

発掘史

1913年大正2年)に網走を訪れた青森県のアマチュア考古学研究者米村喜男衛が発見し、学界に報告した。発見した土器[注 3][2]から縄文文化ともアイヌ文化とも異なる文化の存在を知った米村は、網走に住むことを決めて米村理髪店を開業し、傍らで遺跡の調査と研究に携わった。

大正時代には、この遺跡の文化が北方的な独特のものであるということ以上はわからなかった。1933年昭和8年)に、オホーツク海の南沿岸に広がるオホーツク沿岸文化が、同時代の北海道の文化と別個のものとみなされるようになった。今日いうオホーツク文化である。

遺物を保存・展示するために、1936年昭和11年)に網走に北見郷土館(現 網走市立郷土博物館)が建てられた。モヨロ貝塚は同年12月16日に国の史跡に指定された[3][4]1941年(昭和16年)・1942年(昭和17年)、海軍施設建設のため遺跡の一部が破壊され、緊急発掘を受けた。100体を超える人骨と多量の土器、石器、骨角器、金属器などが出土した。北海道大学医学部・大場利夫によって資料報告(『北方文化研究報告』北海道大学・1956年(昭和31年)および以降)されている[1]

史跡指定時28棟確認されていた建物跡は、このため現在には約20棟に減った。戦後、1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)にかけて大規模な調査が実施された。平成期はじめの発掘調査で約80基ほどの墓が密集して発見され、また大麦はじめ多くの栽培植物の種子が見つかっている[2]

現況

モヨロ貝塚館
2013年5月改築後

遺跡はモヨロ貝塚館を中心にした公園として整備されている。北見郷土館の後進である網走市立郷土博物館にも展示がある。2003年平成15年)と2004年(平成16年)に発掘が行われ、土製のクマ像など多数の遺物が見つかった。

「モヨロ貝塚館」は建て替えられ、2013年(平成25年)5月1日に新館が開館した[5]

脚注

注釈

  1. ^ 北海道では、他に以下の貝塚が国の史跡に指定されている。
    • 東釧路貝塚 釧路市 1970年(昭和45年)指定
    • 北黄金貝塚 伊達市 1987年(昭和62年)指定
    • 入江貝塚 虻田郡洞爺湖町 1988年(昭和63年)指定
    • 大谷地貝塚 余市郡余市町 2000年(平成12年)指定
  2. ^ 沿海州から伝播したとみられるセイウチの牙を彫った婦人像
  3. ^ 河野広道樺太、北海道オホーツク沿岸や千島出土の土器群とモヨロ貝塚出土の土器をオホーツク式土器群として四型式に分類した。

出典

  1. ^ a b c 竹田輝雄「最寄貝塚」/文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第1巻 原始1』同朋舎出版 1991年 30ページ
  2. ^ a b 和田英昭「モヨロ貝塚」 小林達雄編『考古学ハンドブック』新書館 2007年1月 247ページ
  3. ^ 最寄貝塚 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ 昭和11年文部省告示第367号『官報』第2988号、p.518
  5. ^ 山田泰雄(2014年5月2日). “モヨロ貝塚館:新装オープン 展示場7倍に−−網走”. 毎日新聞(毎日新聞社)

参考文献

  • 米村喜男衛『モヨロ貝塚資料集』、網走市立郷土博物館・野村書店、1950年
  • 駒井和愛編『オホーツク海沿岸・知床半島の遺跡 下巻』、東京大学文学部、1964年
  • 米村衛『北辺の海の民 モヨロ貝塚』、新泉社、2004年、ISBN 4787704311

関連項目

外部リンク



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