米村喜男衛とは? わかりやすく解説

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米村喜男衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 05:56 UTC 版)

米村 喜男衛(よねむら きおえ、1892年明治25年) - 1981年昭和56年))は、日本の考古学者理容師[1]青森県生まれ。理髪店を営みながら、在野の考古学者として活動し、日本人類学会評議員などを務める。北海道網走市モヨロ貝塚の発見を通じ、オホーツク文化の存在を知らしめた功績から、網走市名誉市民の称号や青森県知事表彰、北海道新聞文化賞を受けている[2][3]

経歴

1892年青森県南津軽郡藤崎町に生まれる。1903年奉公に出る。やがて理髪店に勤めながら、遺跡発掘調査に参加する。1913年、たまたま訪れた網走市の網走川河口付近でモヨロ貝塚を発見。網走に移住し理髪店を営み[4]ながら、発掘作業を開始。1936年、発見したモヨロ貝塚が国の史跡となる。1936年、貝塚の資料を展示する北見郷土館(現 網走市立郷土博物館)が開館する[5][6]1954年ユネスコ主催の国際セミナーに日本代表として出席。

子孫

長男の米村哲英[7]、孫の米村衛も考古学者。

出典

  1. ^ (小坂洋右 2015)
  2. ^ 『先人を訪ねて』(読売新聞 2013年10月17日13版34面)
  3. ^ 北海道新聞文化賞 過去の受賞者一覧”. 北海道新聞. 2023年12月21日閲覧。
  4. ^ 米村衛 2004, pp. 18–19に米村理髪店の写真が掲載されている。
  5. ^ 米村衛 2004, pp. 24–25
  6. ^ モヨロ貝塚発見者「米村喜男衛氏の功績県民に」”. 陸奥新報. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月21日閲覧。
  7. ^ 春のオホーツク体験紀行・特別インタビュー”. オホーツク21世紀を考える会. 2023年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月21日閲覧。

参考文献

  • 米村衛『北辺の海の民 モヨロ貝塚』新泉社〈シリーズ「遺跡を学ぶ」001〉、2004年。 
  • 小坂洋右「海の向こうからの異文化:オホーツク人のモヨロ貝塚(〈文化財〉取材日記)」『本郷』第116号、吉川弘文館、2015年。 



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