最宝寺とは? わかりやすく解説

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最宝寺

読み方:サイホウジ(saihouji)

宗派 浄土真宗本願寺派

所在 神奈川県横須賀市

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

最宝寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 01:19 UTC 版)

最宝寺
本堂
所在地 神奈川県横須賀市野比1-51-1
位置 北緯35度13分07.3秒 東経139度41分12.2秒 / 北緯35.218694度 東経139.686722度 / 35.218694; 139.686722座標: 北緯35度13分07.3秒 東経139度41分12.2秒 / 北緯35.218694度 東経139.686722度 / 35.218694; 139.686722
山号 五明山
宗旨 浄土真宗天台宗
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来薬師如来
創建年 建久6年(1195年
開山 明光
開基 源頼朝
正式名 五明山高御蔵最寶寺
札所等 三浦薬師如来霊場会
法人番号 6021005007857
最宝寺
最宝寺 (神奈川県)
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最宝寺山門

最宝寺(さいほうじ)は、神奈川県横須賀市にある浄土真宗本願寺派寺院

歴史

1195年建久6年)、源頼朝の開基である。開山の明光は頼朝の従兄でもある。当初は天台宗の寺で本尊薬師如来であったが、明光は親鸞の弟子となり浄土真宗に改宗、寺も浄土真宗となり、本尊も阿弥陀如来となった[1]

元々は鎌倉の光明寺の付近に位置していたが、1333年元弘3年)、新田義貞の鎌倉侵攻の際に焼失した。その後諸説あるが、室町時代の間に現在地に移転した[1]

天台宗時代の本尊だった薬師如来は、「天拝高御蔵薬師」と呼ばれ、もともと平安京高御座にあったものである。1190年建久元年)の頼朝の上洛時に拝領したものといわれている。もっとも、高御座とは関係ないという説もある[1]

文化財

  • 木造薬師如来坐像(神奈川県指定重要文化財 昭和41年7月19日指定)[2]
  • 最寶寺中世文書(横須賀市指定重要有形文化財 平成17年12月26日指定)[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年、249-250p
  2. ^ 神奈川県文化財目録(市町村別)神奈川県、25p
  3. ^ 最寶寺中世文書横須賀市

参考文献

  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年


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